2011年4月の日記

  • 4月9日 地震

4月9日 地震

高校のころ、なぜか、異常に地震が恐ろしくなり、それまで目指していた東京の大学を諦め、関西の大学を受験した。

高知の人間は高知を出るならば、大抵、東京を目指す。

日本のメジャーであるためと、なぜか、高知は関西圏ではなく、東京圏だからという理由もあると思う。四国四県のうち三県は関西圏だが、高知だけは少し異なる。四国山地のせいか?

高校1年生のころは、まだ東京を目指していたので、夏休みに東京の予備校のサマースクールに行ったりした。

友達はほとんど東京に出てしまい、関西で少し寂しい思いもした。

そこまでして、なぜ、地震が恐かったのかよくわからない。

そこまでしたのに、平成7年の冬、1歳に満たない息子をかかえて、阪神大震災に遭い、えらい目にあった。

いろいろなものを失った。

高知の友達にあうたび、

「keikoは、地震がこわいゆうて、関西に行ったのにねえ」

と、ことごとく言われた。

高知には南海地震がくるといわれているけど、小さいころ昭和の南海地震に遭った母が言うには

「私が生きちゅううちはもう来ん」

という位で、高知の人はけっこうのんきに構えている。のんきだが、我が母校は耐震建築に建て替えたり、結構準備はしていると思う。

そんな中、3月に、大きな地震がやってきた。津波もきた。さらに、原発事故も。

テレビで状況を伺うと、関西にいてよかったと思う。素直に思う。現地の人には悪いけど。でも、立場が変われば、皆想思うと思う。

二つの意味で他人事ではない。

一つは原発。影響は、周辺のみではないと思う。

もう一つは、南海地震を思うと、関西も他人事ではないということ。原発も周辺にたくさんある。

チェルノブイリの事故のとき、

「日本とはあまり関係ない遠くで大事故が起きて、日本人が原発の恐ろしさを実感してくれたらいいのに」

と思っていた矢先のことだったので、チェルノブイリには悪いが、これで日本人が少しは利権や、義理や、私欲をおさえて、原発建設が減って、現原発の補強がなされると思った。

ところが、そうはいかなかった。

そういう現状を放置してしまったのは、無力だったとはいえ、私達国民の責任でもある。推進派のみの責任ではないとおもう。

被災地の復興支援と共に、原発に対して、ちゃんと声を出すことから始めなくてはならないのではないか?

建設/維持するならば、それなりの覚悟と、安全対策を。

ただし、それなりの覚悟は大きなリスクを伴い、安全対策には、多大な資金が必要。

今、切り替えの最大のチャンスだとおもう。

昔からくらべて、日本人の人口はそんなに増えていないのに、原発は増えた。

経済がまわらなくなるとか、そんなことより、もっと重大なことがあるのでは?

 

 

 

 

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