2008年1月の日記

1月5日 正月やすみ

最近,休みとかあまり続けてとれなかったが,この正月休みは,去年の土曜日から今年の月曜日までどどーんと10連休とってしまった.疲れがたまっていたのか,この大連休のせいか,毎日10時間寝ても眠い.放っておかれたら24時間寝ているだろうなあ.とはいっても,高知に帰ればビジネスホテルだから24時間寝るわけにいかないし,家にいたら,子供を起こさないといけないから,結局むりやり起きるけど.

こんなに気抜けして,来週,静岡に実験とかいけるんかいな?

2日は,例年通り,ゆうがつかんで新年会だった.ふーちゃん,そーちゃん,のむやん,じんまん,アレルギーのセンセと6人でどんちゃん.その後,この新年会さぼった組のこにたん,かーさき組と合流して,1時か2時頃まで飲む.

ひときわ光る超特等.空港でその値段きいてびっくり.

ドイツでビール修行したふーちゃんが,いかにも日本のビールはヨワヨワでいかん,とい感じなのだが,私は,ヨワヨワが好きなので,1.三鳥井2.朝日3.札幌4.恵比須5.麒麟なのだった.すっきりさっぱり系が好きなのだ.土佐人だから,端麗辛口しか受け付けない.ねっとり甘いやつは胃にもたれて,口が酸っぱくなる.

昔は高知も麒麟ばっかだった.うちの龍園も麒麟だった.母は麒麟が好きだそうだが,彼女は日本酒でも精米歩合の高く無いやつを飲んだりしているし,私とは好みが違う.

日本中,ビールといえば麒麟が大手だったと思う.ところが,朝日がスーパードライを出してからビール界は完全に変わったと思う.やはり,日本人はあまり胃が強く無いから端麗辛口が合っているのだとおもう.フォアグラよりは北京ダック.はまちよりはかつおのたたきだ!!

そういう土佐人の心を呼び戻すためか,麒麟が,空港やら,町中にやたらとたくさんポスターを出して居た.

 

おっしゃるとおり!たっすいがは,いかん!!

でも,ビールはたっすい方が飲みやすいで・・・.


 

1月14日 京大病院

この日記にも書いたことがある友だちが今京大病院に入院している.

会社に入り,研究所に配属され,会社の女子寮から通うことになった.今から20年以上も前のことである.6畳ひと間に女の子二人.お風呂とトイレは1フロア20人位で共同で,食堂付きだった.当時は携帯電話とかなくて,緑色のカード電話が1Fにあり,彼と電話するのに,何十人もの女子が2台のその電話に行列していた.外からかかってきても5分で切らなくてはならないのだが,その外線電話の呼び出しがひっきりなしだった.

冷暖房もなかった.しかも,「防犯のため」といわれ,夏でも窓は閉め切って眠らなくてはならなかった.窓をあけて寝ていると,管理人さんが外からチェックに入って注意しに来たりした.

そんな環境でも,いや,そんな劣悪な環境だったからか,寮のみんなは皆仲良しだった.特に同室で,同期の彼女とは仲良しだった.

研修生の頃,京都の工場に1ヶ月ほど研修に行くことになった.彼女の実家は京都なので,彼女の実家に研修の間すまわせてもらった.お母さんが毎日京料理を作ってくれた.彼女に言わせると,「あの人(おかあさん)にこんなすごいもん作れるという実力があること知らんかった」のだそうだが,毎日それはそれはごちそうだった.

私は当時から,どこそこが具合悪いとかぼそぼそ言っていたので,おかあさんが漢方薬を作って送ってくれた.彼女の実家は漢方薬屋だったのだ.とても高い薬をずっと送ってくれたりした.

私は早々に結婚してしまい,すっかりお金も時間もなくなってしまった.会社と家の往復で,やはり,独身の人にくらべると仕事のこなせる量も少なくなり,なおかつ,独身の人ほど,お金も使えず,ひとりでどこかに旅行なんて夢の又夢になった.

それなのに,彼女は,独身で相変わらず,海外旅行に行ったり,ダイビングに行ったりアクティブに過ごして居た.研修の時,六甲山縦走をやらされたのだが,私は山登りなんか全然だめで,ふーふーいいながら,止まったり,よぼよぼ歩いたりしていた.それを,後から来た彼女がすいすいと追い抜いていった.彼女は体が強かったのだ.

頭も良かった.英検とかもびっくりするような成績だった.

私より何でも優れていて,なんだか羨ましかったし,ねたましくもあった.それでも,会社では一番の友だちで,彼女が結婚した時は,私は心の底から感動して,「本当に良かった」と思い,一人でぐずぐず泣いて居た.

その後彼女は,御主人の栄転でフィンランドへ行ってしまった.フィンランドから何度か手紙が来た.そりで保育園に行っているだの,フィンランド語を習っているだの,やはり,アクティブだった.

彼女は一生楽しく過ごすのだと,思い込んでいた.

彼女がフィンランドから帰ってくる時と,私が家を引っ越したタイミングが同じだったようで,それ以来,二人ともお互いに住所が分からなくなり,音信不通になってしまった.

それでも,私は彼女は私なんかよりずっとアクティブで元気だったし,頭も良かったし,環境も良くて,お母さんも優しくて料理が上手で,実家もとても立派だったので,

何の心配もしていなかった.

逆に,「なんやねん,あんたばっかりー,幸せでー」

みたいなことも思っていたかも.

先月,同期の女友だちから女子同期会を28日にやるといわれたのだけど,その前3日,出張で家をあけていたし,参加は無理だった.誰が行くかは聴いていなかったけど,彼女は多分行かないんだろうなあと思って居た.

前に彼女が同期のことでいろんな話をしていたのを思い出して,なんだか,私はその時彼女の悪い印象ばかり思い出してしまった.

その日だったか.

もう随分彼女のことなんか思い出してもいなかったのに,そんなことがあったので,彼女が夢に出てきた.でも,それは好意的ではなくて,なんだかネガティブな感じだった.それが少し気になっていたけど,なにせ,元気な彼女だったので,彼女を思って心配するようなことは何も無かった.

ところが,先週,突然,同期の友だちから,彼女が重い病気で京大病院へ入院していることを聞かされた.

私は彼女が大変な思いをしている時に,何をのんきな,横柄な,ネガティブなことを考えてしまったのだろうか.

どうして,もう少し早く,彼女と連絡をとらなかったのか?

私と彼女の連絡の接点はもう全くなく,実家にも電話をしたが誰も出なかった.

とても申し訳なく,とても心配になり,夜も眠れなくなってしまった.

連絡してくれた友だちと,高校時代に仲が良かった友だちと三人で週末に京大病院へ行ったのだが,病状が悪く,面会できない状態だった.

どうしてこんなになるまで私は連絡をとらず,ほったらかしにして,なおかつ,悪い印象まで持ってしまったのか.

あの優しかったお母さんが,ずっと付き添いしていたらしく,彼女の代わりに私達の前に来て下さった.自分の娘が目の前で何日も,何ヶ月も苦しんでいるのを見て,どんなに苦しいことだろう.

もうかなり年老いているのに,ずっと付き添ってどんなに疲れていることだろう.

私はお母さんに「ずっとごぶさたしていて,こんなになるまで知らずにすみませんでした」と心から謝った.しかし,私はのんきにふつうに生活しているのに,同い年の自分の娘がこんなひどいことになっていて,さらに悲しみを誘ったのではないだろうか.

ごめんなさい.本当にごめんなさい.

でも,許してもらえないだろうなあと思う.

自分の幸せを毎日感謝しなくては.

あと,やっぱり,「元気そうだし,いつかあえるからいいか」と思って御無沙汰している人とか.やっぱり,早く会っておかなくちゃ.こっちも,むこうも生きて元気なうちに.


 

1月20日 京都

1月14日の彼女は最期に会うこともできず,14日夜に亡くなってしまった.

私達が病院へ行った13日は一番大変な時だったようで,次の日14日は昏睡状態となり,痛みから解放された一日だったらしい.

お通夜と御葬式のお手伝いをさせていただいたが,お通夜の夜,御主人が,小一時間にわたって,彼女のことを話してくれた.まるで彼女が御主人に乗り移り,私に状況を説明してくれたかのようだった.

でも,最期まで,彼女が私のことをちょっぴりでも思い出してくれたのか,思い出したとしたら,どう思ったのか,分からずじまいとなった.

私は彼女に,文句や不満を言いたかった.そして,感謝も伝えたかった.それから,今の私のこと,彼女の友だちのこと,会社のこと,その他いろいろなこと.

今から24年くらい前も同じようなことをしてしまった.

24年の前の高知の友だちとは,ちょっとした喧嘩で音信不通となり,そのままその子も逝ってしまった.その子は,死ぬ前に私に葉書をくれて,喧嘩のことを謝って居たのに.私は高知でまたなにごともなかったように会えると思い込んで居た.しかし,それは叶わなかった.その子にも私はいろいろなことを伝えたかった.

その子のおうちで,彼女のお母さんに形見分けを頂いた.その中にスティーブンビショップのLPもあった.私と違って,その子はジャンルにこだわらず,いろいろな音楽を聴いて居た.私もそのスティーブンビショップから,ジャンルにこだわらず,いろんな音楽を聴くようになった.

もう,友だちと音信不通になって,こんな思いをするのはイヤだ!そう思って居たのに,このざまだ.

先日のお通夜と御葬式で,お顔を見せていただいた.お顔はとてもきれいだった.私が彼女とであった時と全然変わっていなかった.本当に痛い病気だったんだろうか?と思うくらい,安らかで,きれいな顔だった.そのきれいな顔を見て,心の中で「ごめんね」と叫び倒した.

もう二度とこんなことが起きませんように.

反省のみだ.


 

 

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