2005年1月の日記

 

1月4日 おけましておめでとうございます.

正月は予定通り高知へ帰った.伊丹空港からQ400というプロペラ機で帰った.YS11が引退して,スーパードルフィンになったとき,高知県民はどんなに喜んだことか.そして,また,プロペラか.72席しかない.バスで飛行機のタラップまで行ってから,わかっていただろうに,乗客から口々に

「いやっ,プロペラ!」

「こんなこんまいがに乗るが?」(土佐弁で「こんな小さい飛行機に乗るの?」という意味)

の声がこぼれる.あー,また高知便はこんまいプロペラにもんたがやねえ.いつまでたっても離島扱いじゃ.と心で土佐弁でつぶやきつつ,機内に乗り込む.機内は心なしかYSより狭い.いや,心なくても狭い.機長は外人だった.途中英語で挨拶したが,たぶん客は誰一人何を言っているのかわからない.

高知龍馬空港(このネーミングもなんとかならんか.何でも龍馬やったらええのか?)に到着して高知市内行きのとでんバスのバス停へ行った.荷物をとって結構ゆっくりでてきたつもりなのに,私を含めて客が3人しか居ない.そのうち乗ってくるかと思ったが,3人のまま発車してしまった.バスはシャンデリアのついたエアサスバスだった.バブルのときにでも買ったのか,とでん?エアサス特有のほわほわした揺れが気持ち悪いが,それより不思議なのは,ほわほわゆれている0.数ヘルツのサスペンションのはずが,路面の振動が全部伝わってくる.エアサスの意味が全然ない.というか,そのサスペンションでなぜこんな高い周波数の振動がもろに伝わってくるのか?物理系がおかしくないのか?と頭を抱えつつ,あまりの揺れに30分の道のりで酔いそうになってしまった.

2時からそーちゃんちで新年会だった.高知に到着したのが1時すぎだったので,その前に昼食をとっておこうと京町の角の菊寿司で蒸し寿司を食べた.昔と具が違っていたが,匂いが何ともいえず懐かしかった.そして,味も抜群だった.赤出汁を一緒に頼んだ.これもシンプルで非常に良かった.新年会の肴に3色巻き(これがまたおいしいのだ)を買って,隣の隣の都まんを買って,とでんの電車(現在ワンコイントラム継続中)に乗って梅ヶ辻へ行った.

梅ヶ辻の電停の東面には昔龍園があった.今は誰かの駐車場になっている.駐車場にしてしまうと,車が数台しか止まれない小さな土地だ.自分の中ではもっともっと広かったのに,なんて小さな土地だったんだろうか.などと感慨にふけっている間に信号が変わり,反対側の西面の方に歩いた.そーちゃんちは,西面の土佐高おこのみやき通りにあるのだ.

2じちょうどに到着すると,すでにのむやんと新人のHくんが来ていた.Hくんとは初対面で全然知らない人だったけど,「アレルギー,アンド,呼吸器が専門の内科医」しかも「Y養蜂場ローヤル○○ーのアレルギーテストを委託で実施している」という私が追い求めていた彼だったのだった.私は暮れにも会社の耳鼻科の先生に「喘息の人はローヤル○○ーはだめですか?」と聞いて良い返事がもらえなかったところだったのだ.また,よく内科の先生にぶつけている「このまま死ぬまで私はステロイドホルモンをやり続けなくてはいけないのですか?」の質問の答えも持っている人だったのだったのだったー!(この話を真剣に聞く私に周りはあきれていたようだが,本人にとっては大事な問題なのだ.)

そんな彼とも知らず,宴会はどんちゃん騒ぎで,私が一番はしゃいでとんでもなかったかもしれない.あとでそーちゃんが当時の宴会の模様をMP3にしてくれたが,誰かが歌っている横でちゃかぽこと箸パーカションをならし,ボーカリストより遙かにでかい声で文句を言ったり,騒いだりしているのだった.

そんな私たちのはちゃめちゃにもつきあってくれて,さらに,最後は,我々はさっさと「2次会にいかないじんまんのBMWに乗って2次会に行った」のにもかかわらず,一人で寂しく歩いて帰ったのだった.嫌われてないやろか,Hくん.いつかきっとご恩返ししますので,また来年も来てね.

というわけで,2次会は,1次会に来なかったKくんTくんという鉄壁のリズムセクションコンビが仲良く二人で飲んでいるところを襲撃した.Tくんは私と目があったとたん

「あちゃー・・・・」

という顔をして,顔を背けた.(私は見逃さなかった)が,それを許さず,別のバーへと呼び出し,さらに,いつものよいこへとなだれこんだのだった.

最後のメンバーは1次会からなだれ込んだ私,ふーちゃん,年をとって目の上にシワができたのがちょうど二重になってプチ整形したように美しくなったKさきと,一時行方不明になったとみんなで心配したが,今はちゃんと印刷の営業職についたHくんと,KくんTくんの6人だった.最初はふつうのカラオケをしていたが,いつからか,「美人のKさきさんを喜ばす会」の喜び組と化してしまった.しかし,あのメンバーの中でKくんやHくんの奮闘もむなしく,結局Kさきさんを最も喜ばすことができたのは私であったのは間違いない.短時間でKさきさんのツボをおさえ,彼女のハートをわしづかみにしてしまった.ほほほ.私のことを女王様とおよび.ちがうか.

そんなこんなで,2時から夜中までずっと飲み続けた.高知に来るまでストレスで胃がちくちくしていて,「高知に帰ったらぱーっと開放されて胃もよくなるんだろうな」と考えていたが,酒で焼けてしまった.


そーちゃんちで新年会するとき,そーちゃんちにお酒が無かったので近所の酒屋へ買い出しに行くことにした.近所の酒屋とは何のことはない,私の実家のとなりのちさちゃんちだった.今は財テクで酒屋がマンションになって,その向かいにSPARというコンビニをやっている.そのコンビニでお酒も販売していた.昔はものすごく立派な木造の家屋で,お酒を売っていた.老舗の酒屋だった.

一緒にかい出しにいったふーちゃんとのむやんと内科のHくんに「ちょっとごめん,うちの実家ものぞいてもいい?」ときいて,うちの実家を見に行った.

というわけで,なんねんぶりかで実家を見た.私が住んでいたころは,母がバラが好きで,庭の垣根にバラをはわしていた.(このバラの農薬のために私はアレルギーになったのだが)柴犬が2匹いて,ちょっと汚い庭だった.今住んでいる人が垣根とか全部壊して,土の庭はセメントで固めていた.

4人で「ふーん,そうなのかー」という感じでそこはすぐでてお酒を買ってそーちゃんちへ戻った.

父が龍園の土地を売ってお金をもって逃走し,龍園が人手に渡ってお金はなく借金が残り,母は当時父のことでもめていた人や父の襲撃を恐れて引っ越しし,龍園はなくなり,実家には別の人が住み,,,でもその父も昨年台湾で亡くなったことが判明し,お酒の買い出しで偶然実家を見に行って,ちょっとすっきりした感じ.その後の新年会のどんちゃん騒ぎが良かったかな.

3日には母と姉,姪と新年会したが,「なんだかんだ言ってもうちら幸せもんよ」とつくづく思った.世界中で災難に多くの人があったりしている中で新年会しているんだから.

今年一年も幸せでありますように.


 

1月15日 オカネモチーハ〜カネモチダ〜(コガネムシの節で)

テレビで内閣の提供する番組をやっていた.日本では毎年400万台の車が廃車になっているそうだ.車の数は減っていないので,新車が毎年400万台も売れていることになる.日本の人口は約1億人でそのうち自動車を持っている人というと半分以下だろうから,たとえば4000万人だとすると,なんと10人に一人は毎年新車を買っていることになる.車って100万円以上するから,10人に一人は毎年100万円以上するものを買い物していることになる.金持ちやん,日本人!!

実は,うちの会社は携帯電話を売っている.携帯電話は毎年日本全体で1000万台位売れるときいて,そんな,日本人の10人に一人がまさか毎年携帯電話を変えるほど金持ちではないと思っていたが,車が400万台廃車になっている事実から,それが本当であることを実感した.

不景気なんていいつつ,日本人金持ちじゃないか.

というか,車に関しては,事故って廃車した以外廃車にしたことがなく,携帯電話も何年も使っているうちがビンボーすぎるのか.

ビンボーといっても,学生時代から見たら今ものすごく贅沢になっているし,さらに,数年前に比べてもすんごいお金使っている.すんごいというのは,最近1ヶ月に1回くらいの割合で和牛ですき焼きしているとか,そういう程度であるが.


まあ,他人のことはどうでもよいが,おととい,会社の新年会で,部内のあまりよく知らない人が向かいに座っていて,彼から

「嫁さんにkeikoさんのホームページ教えてもらって見ました」

といわれた.ものすごく恥ずかしく感じ,この時点でホームページを全て閉鎖しようかと思った位だった.全世界に公開しているくせに,会社の人に見られると恥ずかしいのはなぜだろうか.

ホームページって自分よがりなものである.自分のプライベートとよく似た人探しの旅かもしれない.やはり,仕事とは全然かけ離れた世界なのだ.そこへ突然仕事関係の人がくると恥ずかしいということは,自分はよっぽど,仕事の時,自分を作っているのか?うーん,確かに.作っているかも.作っている仕事の自分は嫌いではないが.

そういえば,やはり職場の人に私のホームページ(こんなことってない)を前に見ていただいたとき,

「こんな人がホームページであんなことを言っているなんて信じられない.そのギャップがすごい」

といわれたことがある.彼はとても私のホームページを気に入ってくれたのだが,会社でつきあっているこんなkeikoさんがこんなこと言うなんて!と,とてもびっくりしたようである.

会社の人からみると,加賀さんというのはもともと私の上司みたいなイメージだったらしく,その加賀さんとバンドしているなんて信じられないという感じらしい.ところが,このホームページを以前から見ている人(というか私も含めて)は,職場の中でも遠い存在だった加賀さんと映画のことで仲良くなり,その後ギターを弾けることが発覚して,弾かせてみたら,ものすごくきれいな音をだして,一生懸命弾く人だったことがわかり,さらに,同じ会社としては珍しく性格的にも自分と色々一致している(同じ動物百科を持っていて生物が好きとかそれが高じて小さいころはウルトラマンが好きだったとかフランス映画が嫌いだとか,フェチ映画が好きとか)ことがわかり,一緒に演奏するようになって,それがいつのまにか同じ課になって,いつのまにか自分の上司になってびっくりという過程が前提なので,感じが全然逆なのだ.

恥ずかしいけど,これからも続けます.


1月19日 引き渡し訓練で

災害時に小学校に親が子供を引き取りに行く訓練「引き渡し訓練」が本日だったので,会社を午後から休んで子供を連れて帰ってきた.子供は早めに学校がおわったので,今友だちが二人来てゲームやっている.最近の子供の遊びってゲーム以外ないんか?とはいうものの,えらい盛り上がりようで楽しんでいるのでまあいいか.


1月16日は三木楽器主催の社会人ミュージックスタジアムに出場した.ものすごく貴重な体験だった.まず,三木楽器とスポンサーのみなさんに大感謝である.特に三木楽器.私は以前から楽器屋に入ると,ロック系の店のにーちゃんに「げっ,おばはんが入ってきた」という目で見られ,ろくな接し方をされないのが普通である.まず,完全にばかにされている.あと,「場にそぐわない」という感じで「早く帰ってくれ」が店員の体中からにじみ出ている.ろくに楽器の話もできないし,試奏なんてとんでもない.とても肩身の狭い思いをして後悔しながら帰宅というパターンが多い.

そんな私がおもいっきり楽器屋でうけいれてもらえるのは,東京新宿のロックインと関西の三木楽器のみである.この両者の接客態度は最高である.両者とも決して高い価格で楽器を売っているわけではないが,万が一,他の楽器屋より高かったとしても,私はこの2つの楽器屋で楽器を買う.普通のお客として扱ってくれるし,とても親切だからだ.店員がへたにプライド持っているような楽器屋は最低である.それや店員ではなくミュージシャンである.店員をする必要はないと思われる.

さて,その三木楽器だが,三木楽器の若い店員が社会人ミュージックスタジアムでは私たちのお世話をしてくれた.どいつもこいつも最高に気持ちのいい人たちで,ミュージシャン達は皆王様か女王様のような扱いをしてくれた.私はライブの経験は非常に乏しいが,その中で最高の条件だったと思う.三木楽器は社員の教育がめちゃくちゃ行き届いていると思う.まず最初に受付から何からものすごくちゃんとしていた.質問をしたら明るく親切に答えてくれる.わからないことは一生懸命調べてくれる.また,出番まで,1バンドに一人ついてくれて,貴重品の荷物持ちから出番までの道案内など全部やってくれる.とにかく明るく一生懸命話かけてくれるのだ.さすが三木楽器.皆,楽器はとにかく三木楽器で買おう.

あと,アルカイックホールも非常によかった.こんな良いホールでできるなんて幸せきわまりない.楽屋,広すぎるくらい広い(そのかわり広すぎて寒い).新しいホールなので音響設計もばっちりだ.三木楽器が呼んでいた音響屋さんもめちゃくちゃよかった.ふつうの学校が呼んだりする音響屋って安い(というか無理いって安くやってもらっている)が,ものすごく横柄で,こっちが学生だからということからか,すんごいコワイ.いや学生に限らず,この前のクイームのときも音響屋はやっぱりこわかった.職人仕事だから仕方ないのかもしれないが,客に怖くしても仕方ないとおもうが.そんなに仕事がいやなのか.ところが,今回三木楽器が呼んだ音響さんはこれまためっちゃフレンドリーで,PAやる人も手を抜かず,きっちり最高のバランスを逐次とってくれた.全然きいたことない曲なのにここまでちゃんとバランスとれるなら,最初にテープきかせてリハまでやっているふつうのコンサートの音響屋があんなにバランスがひどく,一回あわせたらそのままにしたり,ある楽器が聞こえなかったり,モニターの帰りが悪かったりするのはなぜか???

さらに出ているバンドも非常に水準が高かった.実力だけみれば,どれが受かっても全然おかしくない状態だった.どのバンドも1曲入魂しており,どこもバンドの息はぴったりだった.いわゆる練習不足でばらばらっとした感じのしたところは一個もなかった.一人一人は優秀だがバンドとしてばらばらで音が薄いのはアマチュアによくあるが,そういうところが一個もなかった.

また,いろいろなジャンルがあった.ロック,フォーク,インディーズ,ヘビメタ,ボサノバ,ジャズ,ビッグバンド,ファンク,ラテン,レゲエ,大正琴,ゴスペルなど,本当にバラエティに富んでいた.

場数の多いハコの常連バンドや,再結成したバンド,何十年もやっているバンド,初めて人前でやるバンドなど,そういう意味でもバラエティに富んでいた.

その中でも,いかにも「その音楽が好きで好きでたまらなくて,一生懸命練習している」ところは,どんなジャンルであろうと,すぐわかった.そりゃハコ慣れしたバンドはうまいが,それは上記とは少し異なるような感じだった.まず大正琴バンドは,2組の母娘の4人で結成されていて,ベース大正琴なんてあるのも初めて知ったが,そのなかのめがねかけた小さいおかあさんが,これがもう「大正琴が好きでたまりません!」という感じがありありと伝わってきてすばらしかった.演奏内容も非常にすばらしく感動したが,このおかあさんのうれしそうな弾き方が非常に良かった.おかあさんはどうしても大正琴バンドがやりたくて娘にやらせたんだろうか?そのドラマがまた思い浮かばれていいじゃないか.

あと,レゲエのバンドには心から感動した.最初は息の合わせ方などは完璧だったにもかかわらず,ボーカルがあまりよくなくて何を言っているかよくわからず,どうなることか?と思っていたが,最後にやった「おかん」の歌が最高によかった.このバンドは魚屋さんとか近所の友だち同士で組んでいるようだったが,まあ,レゲエ(つーかラップ)なんかをやっているものだから,まあ,ヤンチャだったんかな〜?みたいなことが想像できるが,そのお母さん達を最前列に座らせていた.おかあさんたちはほんまにみるからに「アマのおかん」という感じのちょっと小太りのいい感じのおかあさんたちだった.この曲はそのおかん達への感謝の歌で,今思い出しても涙が出るような内容だった.レゲエでラップなのに,涙が出るような歌って一体!

これをたとえばかっこいいプロのミュージシャンとかがやっても「よくある感じ」で終わるとおもうが,これを彼らが最前列のおかあさんたちに向けてやったところがドラマなのだ.

ゲストの方にもとても感動した.プロの方だったが,音楽への想いを少し語られて,やっぱりすごいなあとおもった.

なんというか,どのバンドも大なり小なり,本当にドラマを感じさせる内容で,かつ,演奏も1曲入魂しており,適当に何曲も自分たちが好きなようにやっているだけというところが1個もなかった.皆社会人で色々あるのに,本当に色々あるのに,それを乗り越え,ひたむきにやっている.

うちのバンドはそれに引き替え,やっぱりちょっとダメダメだったかなあと反省した.まず,練習が足りない.あわせる機会も少ないが,それより,個人の練習というか個人の音楽への想いが足りないのではないか?加賀さんもかなり反省,かつかなり啓蒙された感じで,「必ず来年も絶対出よう」と言った.「こんなんやったらもっと練習すればよかった」「いや,今回ちゃんと練習しておいてよかった」といろいろなことを言っていた.

これに出て,こんな人たちが世の中にいて,その人達の演奏に触れられるだけでもいいじゃないか.

とにかく長かったが(12時半集合で演奏者の乾杯が9時半だった.),本当に良かった.

まず,うちはアガラナイ様に精進だな.


1月25日 貴方の瞳に私を映して

お年玉年賀はがきで今年は生まれて初めて3等があたった.毎年100枚位だして100枚位帰ってくる.100枚帰ってくるならば,その中に確率的には4等が3本入っていなくてはならないが,生まれて一度も3本もはいった試しがない.ましてや3等など全くなかった.3等のあたる確率は1万本に2本らしい.私は今年41歳なので,たとえば100枚を41年とすると4000枚だから今3等があたったのは,平均よりほんのちょっと運が良いという感じだろうけど,今年あたったというのは,なんとなく来年から「土星人マイナスは大殺界」というのに繋がるような気がしてちょっとこわい.やるべきことはとにかく今年中に全部片づけて,来年からはおとなしくしていよう.

しかし,3等の地域の特産品小包って一個も欲しいものがないのだった.私の感覚って一般とずれているんだろうか?お茶にでもしとこうかな.


1月29日 嵐の前の静けさ

今年の夏は暑かったので杉花粉の量が昨年の30倍の大飛散が予想されている.すでに11月くらいからちらほら飛んでいたらしいので,すでに私はマスクを着用しているが,幸いまだアレルギー症状は出ていない.しかし30倍とは一体.昨日今日はとてもお天気がよく,また暖かくてなんだか小春日和といった感じで,普段何もやってないくせに今日はお外でドッジボールでもやろうか!といって本当にやったら筋肉痛でえらい目にあうので,やめとくかといった気分だ.天気予報を見ると,明日からこの冬一番の大寒気団がやってきて1週間恐ろしいことになると予言されていた.さらに1週間をすぎると,2月初旬にはいり,近畿地方は杉花粉シーズンの到来だ.従って,昨日今日のこのぽかぽか陽気は嵐の前の静けさであって,明日からは厳しく,恐ろしい季節がやってくると言えよう.

杉花粉のIGEがこれ以上増えないように,すでに私はサプリメントとして,バラの花エキス,プロポリス,アセロラC,甜茶シソエキスを飲んでいる.外出時にはマスクをして,髪の毛はできるだけまとめている.(花粉用帽子を買いに行ったがまだ売っていなかった)あと,コートには花粉ガードスプレーをしている.あとできることといったら,季節が始まったらサングラスかけるくらいか?

高知に帰ったときにきいたのだが,日本でこんなに今杉花粉が問題になっているのはきこりの人手不足が原因らしい.昔は杉をちゃんと利用していたし,きこりも沢山いたので,杉の剪定をちゃんとしていたので花粉が飛ぶことはなかったらしい.しかし,現在杉は利用価値がなく,かといって切り倒すと山崩れが起きる.きこりもいないので剪定することもできないということで花粉が飛びまくっているらしい.ちょっとずつ杉の木切って,他の木を植えるとかできないものだろうか?


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