2004年7月の日記

7月11日 日記再開

ブログに日記を書いていたのだが,URLを公開していなかったので,「誰にも見られない」安心感から,愚痴と弱音と懺悔のページになってしまい,これはまずいということで,こちらへ戻ってきた.ここの日記ですら,いい加減「愚痴と弱音と懺悔」が多いが,それをぎゅっと濃縮して,さらに100倍の量にしたようなとんでもない内容になってしまった.あそこは,もうあのまま放置しておこう.

歯医者も終わったし,バンドなどで忙しいこともあって少し元気になった.私は毎年年頭に目標を掲げて,年末に反省するのだが,これを毎月やった方がいいんじゃないか?他人にとやかく言われるフォローではなく,自分自身目標を持つっていいことではないだろうか.うんうん.前向き.

というわけで,7月の目標は「無事松本ツアーを成功させる」だな.そのためには,事前のトレーニングと病気にならないこと,家族も事故や病気にならないこと,台風や地震が来ないこと.というわけで,自分の鍛錬以外に他人や天変地異の協力も必要だな.

なんか,違うか.

7月の松本ツアーが目前に迫ってきたというのに,メインの加賀さんが静岡に缶詰になったりして,なかなか目前感がない.そうこうしているうちに,5月に誘われたクイーンのコピバンの練習が頻繁になってきた.

クイーンといえば,中学の時は一番好きなバンドだった.バンドといえばクイーン.クイーンのアルバムを聴くときは,ステレオセット(ダイヤトーンのタテコン)の前に正座して聴いたものだった.クイーンII以外はどれも日本語訳がついていなかったので,5枚目までは全部自分で翻訳した.そのおかげで,5枚目まではほとんどの曲を今でもソラで歌える.クイーンIIが一番好きなアルバムなのだが,このアルバムだけ日本語訳がついていたせいで,自分で翻訳していないので,ソラで歌えなかったりする.

中学でバンドやりはじめたときは,なんとかクイーンをやりたかったのだが,加入した鸞は,なぜかキッスのコピーバンドだった.サイドギターのにこちゃんがブライアンメイモデルを購入したのに,それでもクイーンの曲は全然やらなかった.当時はバンドでクイーンがやりたくてたまらなかった.なんぜ,ほとんど全曲ボーカルコピーしていたから.キーもフレディにあわせて声帯が長くなったような気がする.それなのに,40歳になるまで,クイーンのコピバンに参加したことがなかった.唯一,3年前によしくらくんがクイーンを唄いたいといったときに,ギターで参加しただけだった.誰かが「フレディやりたい」といったら,「じゃあ,どうぞ」といって,自分がやりたいとはいえない弱気な私.だって,たぶん,今更,たぶん歌えない,たぶん.たぶん無理.

そんな私を誘ってくれたHさん,ありがとう.もう当時のようには歌えませんが,なるだけがんばります.

というわけで,最近,クイーン温故知新で,ブラナイのNさんがグレイテストヒッツのDVD貸してくれたり,昔のアルバムを聴き返したりしている.フレディはもともと声量のない人なので,初期の頃は声が出なくて,のどつぶしちゃったり,ステージでモニターの音をききとれずに音痴になったりで,決して歌のうまい人ではなかった.アルバムではもうすでに誰もが知っているように,スタジオマジックでどうにでもできるので,きれいな声をしているが,そのイメージでライブの音を聴いたら「なんじゃこれ?」となってしまうことが多々あった.フレディは割とそのあたりはあけっぴろげで,ミュージックライフかなにかの特集でも平気で「スタジオ録音では声を修正している」ことをしゃべっていたし,その機械の名前まで公開していた.でも,私は,あの華奢なオカマ声がすきだったのだ.

ところが,ジャズあたりかな?アメリカツアーとなると耐久力がモノをいうせいか,本格的なボイストレーニングを始めてしまった.フレディはどんどん歌がうまくなって,ステージでも安定した音程で唄うようになってしまった.ボイストレーニングでよく使うフレーズをお客さんとのやりとりで使ったりもしていた.このあたりから,フレディが遠くなっていったような気がする.断髪してオカマからゲイになったというのもあるし,芸風が変わったというのもあるし,曲調が変わったとか,アルバム作りに対する情熱が感じられなくなったとか,ノーシンセサイザーズではなくなったとか,色々あったけど,とにかく,ジャズが発表されてから,いっさいクイーンから離れてしまった.ジャズが発表された瞬間をよく覚えている.渋谷陽一のDJだった.最後のロジャーテイラーのジャズという曲が番組の最後に流れ,それが本当に最後という感じだった.

以来,時々変なMTVをテレビで見たりしていたけど,全く他人という感じになってしまっていた.あんなにときめいていたのに,女はわからん.

ところが,イヌエンドゥだけは違っていた.フレディが帰ってきたような気がした.歌は相変わらず強くてうまくなっているのだが,それでもフレディが帰ってきたような気がした.でもすごくいやな予感がした.曲調がなげやりな,自虐的な変な感じがした.亡くなった後はイヌエンドゥを聴くと,悲しい気持ちになるので結局あまり聴かなくなってしまった.そして,しばらくは,フレディから離れてしまった自分と,その間にフレディは死んでしまったという事実からクイーンから遠ざかってしまった.好きだったことも忘れてしまった.

でも,今はフレディがすごくすきだったことを思い出した.

そして,当時あんなに望んでもできなかったクイーンのコピバンにも参加できたし.

変なTV番組のドラマで再燃したクイーンだが,きっかけはどうであれ,そうやってクイーンを思い出させてくれたのには感謝.

 


7月17日 痛い時

1年位前から右足の小指の横に魚の目ができている.一度近所の皮膚科(最近できた.女医.)へ行ったら削ってくれた.その後,魚の目パッドみたいなのをしてから靴を履いたりしていたが,そのクッションの厚さが結局魚の目周辺を圧迫したりして痛くなったりしていた.こないだ,また痛かったので自分で削ろうとしたら,中途半端になって,次の日ますます痛くなった.その次の日はあまり痛くなかったのだが,また痛くなると困るので,結局今日安心できる皮膚科(少し遠い)へ行って来た.

そこは以前,「腕は良いが愛想が悪い」おじいさんがやっていたのだが,最近形成外科の息子がメインになっている.昔は「愛想が悪い」ことが災いしてか,待っている患者は一人か二人だった.しかし,今日いったら,待合室に座るところがないくらいごったがえしていた.息子はものすごく愛想が良いのだ.愛想がよいというか,まともに話ができて,てきぱきしている.

診察券を出して,いったん外へ出た.となりに有名な漢方薬局があるので,とりあえず喘息相談でもするかとおもって,中に入った.色々質問したりして,舌の裏をみて「あなたは血流が悪い,オ血がたまっている」といっていた.次に血流測定装置で測定すると,脈拍が早くて血流が悪いらしい.

その時の話.

人間の寿命は生まれた時に決まっている.いわばろうそくのようなものだ.生まれたとき,ろうろくは長いがだんだんと短くなっていく.そのろうそくがもともと,長い人と短い人がいる.あなたは血流が悪いので,もともと長生きではない.長生きとは90くらいまで生きる人のことだ.さらに,あなたは脈拍が早いのでこのろうそくをどんどん早く短くしている.

とのことだった.よくこんなことを言って客が離れないものだ.となりの皮膚科なんか愛想が悪いだけで,あんなに患者が少なかったというのに.

皮膚科に帰ると,順番が来ていた.「魚の目が痛かったけど,今小康状態.痛くなりたくないから今の内なんとかして」というと,削って焼きましょうか?といった.しかし,その後すぐに,「削って焼いたら痛いから,今日はとりあえず焼いておいて,来週削りましょうか.で,削った後芯を焼きましょう.そしたら痛くないから」

といって,いきなり焼き始めた.焼くといっても,低温やけどさせるだけだ.やけどだ.痛い.「先生,痛いです」というと,「うん,でも削るともっと痛いから」という.

その後,だんだん痛くなくなったが,靴を履いていると,どんどん痛くなってきた.

痛いから痛くなくなるように医者にいったのになんで痛くなるのか.

歯医者もそうだ.痛いから痛くなくなるようにいってんのに,治療は痛い.

家に帰っても痛いので,ダイエーへ行って,今はやりの雪駄型サンダルを買った.これなら,小指には何も触るモノがない.

しかし,裸足だ.

この年で裸足はつらいぞ.


 

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