2003年9月の日記

 

9月6日 1年前の悪夢

こないだちょっと諍いがあった.諍いといっても,自分の中で起こる諍いだ.たぶん,それは相手のせいではない.そういえば,以前もあったとおもって,この日記をみたら5月頃落ち込んでいる.

なんというか,自分のおもいあがりのせいだな,と.

私は思い上がってはいけない.醜く,ちっぽけな,とるに足らない存在なのだ.

でもまあ,去年一度あったことなので,今回は,「夜子どもを寝かしつけていたら,ふと思い出して,涙が出てくる」程度.でも,去年のときは,精神的ショックが体にでたのか,ぎっくり腰を続出させているので要注意.とにかく気分を他に逸らさなくては.

そして,私も今後をちゃんと考えなくては.

なんて,考えているときに,

会社の健診で「肺に影があります」といわれた.精密検査になるかもとのこと.喘息のせいかな.それともガンか何か?

まあ,いいや.喘息だったら,突然死ぬかもしれないけど,ガンとかだったらじわじわだし.その間に遺書も書いてと.あと,友達にも「これから死ぬから」と葬式の日取りも知らせられるし.

よく思うのだが,私が死んでも,たぶん,あの一日200以上のアクセスのある縮毛仲間には全然知らせられないだろうし,遠くにいる,メール友達とかもたぶんずーっと知らないだろうな.親しい高知の友達でも,なかなかすぐには伝わらないかも.

大好きなあの人にも,大友情をくれたあの人にも,大切な関係のあったあの人にも,あの人にもあの人にも知られずに死んでいくのか.

まあ,そういうことを考えていると,ますます体に良くないので,とりあえず,ギターでも弾こう.

来週は久々にバンドだし.(^_^)

そういや,再来週には晴れて40才になるぞ.めでたい.40才まで生きられると思っていなかった.35才に恐怖の大王が降ってこなかったことに感謝しよう.

このまま,どんどん年をとって,おばあさんになれるといいな.私だけでなく,私の大事な人達みんなが一緒に年をとって,おじいさんおばあさんになって,よぼよぼになって,天気の話をしたり,文句をいったり,バンドしたり,もしかしたら,子どもが結婚したり,いやいや,私の友達だってこれから結婚するかもしれないし,「結婚なんてやめときよ〜」なんていいつつも,結婚式にはしっかりおめかししてでかけたりして.


9月7日 その会社の健診で

妙に健診の機械がハイテクになっていた.噂にもきいていたけど,あまりに新しい機械になったので,検査している人が慣れていなくて遅くなってしまうとのことだった.ICカードも新しくなっていた.一体なぜこんなに全てを新しくしたんだか???

健診の最後に医者による判定みたいなものがある.これが以前は一人だったような気がするが,今回二人だった.一人はレントゲン読みとり専門,もう一人は問診や検査結果の総合判定のようだった.最初にレントゲン読みとり専門先生に見てもらって,次に総合判定の順番になっていた.

レントゲン読みとり専門は,なんという名前の俳優だったか,ちょっと顔に特徴のある人で,この人が私の胸の写真を悩ましげに眺め続けて「肺に影がある」と言った人だ.この後,「ダブるチェックするので,もう一人先生に見てもらって精密検査するかどうか決定します」というので,そのもう一人の先生がやるのかと思っていた.

このレントゲン読みとり専門の先生が写真で悩んでいたせいか,私が終わって外に出たら,すでに3人くらいの人が待っていた.ごめん,おそなって.でも私のせいちゃうし.

で,次の総合判定の部屋にはいった.いつものことだが,つらーっと「頭が痛い,いつもどうである,ときどきそうである,そういうことはない」アンケートみたいなのをみて,あと,血液検査やの検尿やの見て「はいっ,全然問題ありません」という総合判定だ.この日も,それであっさり済んだので,「さっきの部屋でダブルチェックすると言われたんですが」ときいてみた.私はこの先生が胸の写真をチェックするから医者が二人になったのだと思っていたからだ.

でも,違っていた.その写真は京大のえらい先生に送られるのだそうだ.

実は,経験豊かで写真をみただけで病気を判定できるおじいちゃん先生が退職しちゃったのだそうだ.これは日本全体で言えることで,今までは「名医」がいて,とんでもない超人的な勘を持った医者がいたのだそうだが,最近,理論やらハイテクに頼る若い医者が増えたもんで,写真を見て,一人で判定できないので,少なくとも二人で判定するシステムになっているらしい.で,うちの会社の場合は,京大に名医のような先生がまだ残っていて,そこに送るらしい.

その話が発端で,いろいろな話をしてくれた.なぜ,日本の医学界はそんなことになってしまったか?自分の昔の経験も交えて,昔の名医の話もしてくれた.また,日本の医者の歴史として,そもそも日本に医学はなぜドイツ系なのか?京大にどんな先生がいるか?生体肝移植の失敗でマスコミがたたき,世界中がやめてしまった中で一人何千件も経験した田中先生とか.あと,明治時代の西洋医学創世記にどんなことがあったか?それで日本の医学はどうなったか?

どれもこれもめっちゃ面白い話でついつい聞き入ってしまった.聞き入りながらも

「そんな長話していいのか?」

と少し心配だった.

で,外にでたら,10人以上待っていた.ごめん.みんな.でも,私のせいちゃうし・・・.


9月13日 都会へ

前からパソコンが壊れていて,ソフマップへ持っていきたいなあと思っていたのだが,なかなか都会へ行く機会がなかった.今日は突然前髪の矯正をすることになった.土曜日に担当者がいるのは三宮のトアロード店なので,そっちへ行くことになったのだが,それにあわせて,子どもは友達と遊ばせていたので,まず梅田のソフマップにいって,その後,トアロードへ行くことにした.

で,久々にソフマップ行ったのだが,阪急から行くとJRの反対側で遠いのよね.

パソコンも重いし.

で,やっとの思いでついて,さらに奥の修理窓口へいったら,ソフマップで購入したわけでないのなら,メーカーに直接出した方が安いとのことだった.

仕方なく重いパソコンを持ったまま,JRで元町へ.

ああ,なんなの??

途中,ジェフベックのインタビューが掲載されたギターマガジンを買うためジュンク堂へ.ジェフベックの新譜にあわせて,プレイヤー,ヤングギター,ギターマガジン,サウンドデザイン,ストレンジデイズがジェフベックにインタビューしており,表紙を全てジェフベックが制覇している.このうち,プレイヤーは買うのを思いとどまったが,他は全部買ってしまった.雑誌最近高いなあとレジで必ず思うのだが,ジェフベックのインタビュー以外の記事も結構面白かったりして,今回は雑誌をかなり見直してしまった.同じ日にどの雑誌もインタビューしているらしく,どの雑誌もきくことに共通点がある.それに対して,ジェフベックの返事のニュアンスが雑誌によって違うのもちょっと面白い.

で,それはよいとして.

美容院の予約まで時間があったので足ツボマッサージしてもらった.いろいろなツボにコリがあるようで,肩こりがあるだの,胃が悪いだの,肝臓が悪いだの,いろいろ悪そうだった.でも,そのコリに対してあまり私が痛がらないので「痛みにお強いですね」とほめられた.我慢だけは日常茶飯事なもので.

で,いよいよリューレント.5時半に入って,前髪だけやってもらって,新製品のトリートメントやってもらって,出たのが9時だった.おしゃれな店は全てしまっていた.がっくり.三宮の夜は早い.

途中シャンプー台で右手人差し指を怪我してしまった.明日スタジオなのにぃ.今もずきずきするけど,明日には治っていますように・・.

都会に出た半日だった.でも都会でお茶飲んだりとかケーキ食べたりというおまけがなかった.実は帰る途中ケーキ屋があいていたが,入ったらほとんどケーキが残っていなかった.

次回は計画的に朝から行こう.

ともあれ,前髪がきれいになってよかった.トリートメントのせいで他の髪の手触りも抜群になったし.

今週は頭に風邪ひいちゃって(医者は風邪じゃなくてアレルギー性鼻炎だといった)喘息もでて毎日病院通いというつらい週だったが,なんとかこれから補正していけますように.


9月16日 腰痛で

涼しく爽やかな朝,息子の学校の準備をして,顔を洗って,「はやくしなさい」を連発していたら,だんだん腰が痛くなり,湿布でも貼って,少し横になればと思って,横になっていたら,そのまま痛くて立ち上がれなくなった.

たまたま今日からいつもの鍼の先生は午後だけになっており,会社に電話して休暇をとり,とにかく横になる.痛さで寒気が増してきて,どんどん体が冷たくなり,布団をかぶっても寒くてたまらない.そのままうとうとして,いつの間にか昼.

おなかがすくが,下には姑.なんだかご飯をたべに下にうんせうんせと降りるのも気が進まない.一人暮らしだと気楽なんだけどなあ...

鍼の先生に電話して4時に来てもらう.FTで見てもらうと肝に出ているのでそれをとってもらった.幸い,筋肉の断裂がなく,ぎっくり腰ではないらしい.このころには,朝の冷や汗ものの痛みは緩くなっていた.寝る前,起きるとき,必ずストレッチもしていたのになぜ??

原因は婦人科系にあったようだった.とにかく冷やさないようにということで,靴下を.あと,腹巻きか.そういえば,今日はめちゃくちゃ涼しかったし.

まだ腰が痛いのでごろごろしながらテレビを見る.テレビでは豊川悦司と黒木瞳,広末涼子で「記憶喪失の男の前妻と後妻」ドラマをやっていた.息子と最初みていたが,たかちんだったらどーする?ときくと,う〜んと考えて,

「どっちもつきあう.だって,どっちか選んだら捨てた方がかわいそうやもん」

たかちん,その調子で大きくなれ.これから色々経験して,理想的には世の中進まないことも経験して,成長してね.

しかし,豊川悦司の女を見る目.訴える目.慈しむ目.微笑む目.艶ありすぎ.これと同じ目をしている人を知っている.


9月20日 母の誕生日

18日の私の誕生日に引き続き,本日20日は私の母の誕生日だ.私が母の年齢を意識したのは,私が8才のとき,母が40才のときだった.母に「おかあさんの年はいくつ?」ときいたら「よんじっさい」と答えてもらったのを覚えている.それ以来,私が18才になっても,28才になっても,なんとなく母は「よんじっさい」のような気がしている.何年も会わないこともあったが,そのたびに母が年をとるということはなく,なぜか母は永遠に「よんじっさい」のままである.

今その母とメル友になっていて(詳細は2003/7日記高知参照),母に「私も40才になったよ.」とメールをかいたら「なんの,私は72才だ」という返事をもらった.二人とも相手の年にびっくり.そりゃ自分も年をとるよねえ,とお互い認識しあった.

そして,二人で「私たち,年ほど老けて見えないよねえ!若く見える親子だ!!」とお互い親子で褒めちぎったりしていた.あはは.

いつも元気で走り回っていた母だったが,龍園をたたんで,仕事をやめて,一人住まいするようになってから,膝が悪くなって歩けなくなったり,風邪をこじらせて肺炎になったり,白内障の手術をしたり,最近では帯状疱疹になって入院したり,いろいろと大変そうだ.とはいっても,高知に友達は多くて,しょっちゅう宴会に呼ばれたり,旅行をしたりして老後を満喫している.病気しつつも,人生エンジョイって平均的,かつ,すばらしい老後じゃないだろうか?これまでの苦労を神様が労ってくれているとしか思えない.

私も母のようにならなくては.

そのためには,今はがんばらなくっちゃね.今がんばらないと,人生でいつがんばるのか?

私も腰痛に喘息に子宮筋腫に色々悪いところがあるが,それはそれ.母と同じく,良い友達に囲まれていると思っている.会社では全く認められていないし,上司同士の誤解からさんざんいじめられ,先輩は皆研究所を出ていった.結果として,いわゆる派閥にも属していないし,誰かに育てられたりすることもなかったが,社外ではそれなりの信頼も頂いて,ありがたいことにたくさんの人に頼られ,そして私も助けられている.学会では人生の師となる方々にもたくさん出会えることができ,技術のみならず,生き方についても学んだ.なんてすばらしいことだろうか?

戦闘地域となっていない日本に生まれ育ち,良い音楽をきき,そして身近にすばらしいギタリスト,演奏者がいて,時には歌い,時には演奏し,なんて幸せな日々を送っているのだろうか?

というわけで,40才の誕生日,幸せをかみしめた1週間だった.


9月21日 親戚のお見舞い

大阪に住んでいる伯父が脳出血で倒れた.幸い発見が早く,麻痺などは軽く済んだ.今日はたかちんをつれて,古市の病院までお見舞いにいった.古市へは塚口からは,阪急で梅田にでて,その後御堂筋線で天王寺まで行き,阿部野橋の駅から近鉄で準急か急行で行ける.古市からは,台風で雨も降っていたしタクシーで病院まで行った.

前日に従兄のKちゃんと連絡をとっていたのだが,彼らはもういなかった.朝から来ていてたぶん帰ったのだろう.伯父は眠っていたので,どうしようもなく,とりあえず伯母に電話してみたら,なんだかとても慌てていたので,ちょっと落ち着いてもらって,電話をきり,そのまま伯父が目が覚めるのを待つことにした.

ほどなく,伯父の目が覚めたので,「やあやあ久しぶり」ということで話をした.たかちんはとても恥ずかしがっていたが,とりあえず握手してへらへらしていた.

伯父は母の兄,長男で,もともとは5,6人近くいた兄弟だったらしいのだが,今や,母と二人きりのきょうだいとなっている.母は,伯父のことが大好きで,私も小さいころ,高知から大阪の伯父の家によく遊びにいった.

伯父の家は理想的な幸せなサラリーマン家庭で,奥さんの伯母は優しく,自宅で生徒を集めて人形の先生をやっていた.家には広い庭があって,芋などを植えていて,遊びにいくと食べさせてくれた.二人の子ども(私のいとこ)がいて,お兄さんはインテリで京大へ,妹はピアノが上手で,英文科へ行った.

私は高知の実家ではそういう家庭らしいことはあまりなかったので,大阪でのサラリーマン家庭で,いわゆる専業主婦的な暖かい家庭を味わって,それをよく覚えている.私が2階で寝るとき伯母が添い寝してくれて,私が眠るまで側についていてくれた.「100数えたら寝られるよ」といわれ「もう100数えた」といったら「もうかぞえたん?はやいねえ」などと寝る前に会話したことを覚えている.伯父は「戦争にいってたから」早風呂で,風呂からでると紺の浴衣をきて私を膝にのせて,お金の手品とかをみせてくれたりした.

大阪万博にもつれていってもらって,その時のこともよく覚えている.てきぱきして,からっとしていて,そして,とても強くて大きい伯父だった.

伯父と母は兄弟の中でも顔がよく似ていて,私もその系列の顔をしている.無くなったおばあちゃん(つまり,伯父と母の母)も似ていた.特に目元からほお骨のあたりは,もしかしたら,伯父の息子娘より私の方が似ているかもしれない.

その伯父が倒れて,お見舞いに行くなんて変な感じだ.しかも私はもう8才ではなく,40才だ.伯父はすっかり眉毛が抜けてしまい,はじっこのほうに長いのがちょろっと残っているだけだった.私も80才を越えたらこうなるのかな?などと考えながら見ていた.

「けいちゃん,わかなったねえ」

といわれた.でも,私もう40だよ.こうしてほら,たかちんもいるしね.という話をしながら笑っていた.元気そうだった.

たかちんは帰りに「あの人に会うのとおもわんかった」と言っていた.もっと別の人を想像していたらしい.

最近,たかちんは土日のたびに学校から日記の宿題をもらってくる.いつも苦戦しているが,今日はこのお見舞いのことを書いた.

そして,私も今,こうやって書いている.


さっき,風呂からあがって,テレビをつけたら,ちょうどあるある大辞典をやっていて,同じように食べても太る人と太らない人がいるという特集らしきものをしていた.で太る人というのは「姿勢が悪くて脂肪が燃焼できない」という偉い先生のコメントがあり,その言葉のバックでジェフベックの新譜JEFFの曲がぶわーんと流れて,そのジェフのギターが「姿勢が悪くて脂肪が燃焼できない」様子を的確に表しているようで笑ってしまった.その後,同じようにたべて太ってしまった人の姿勢をよくして脂肪の燃焼を見てみるというところで,また新譜JEFFの曲の別の曲が流れた.こっちは,いかにも「脂肪を燃焼しています」って感じだった.あはは.


とまあ,脈絡のない私の日記だが,

実は私は日記に書いてしまいたいことが,ここ数年ずっとあって,でも,それをここでかけないことがちょっとしたフラストレーションだったりする.

たかちんは「日記に書くことがない」といって,いつもフラストレーションだが,日記に書きたくなることがあるのって,それはそれで,一体どうかな?と.


9月26日 眠くて眠くて

23日が小学校の運動会で,その後3日間関東方面に出張だった.やたら待ち時間の多い効率の悪い出張なのだが,だからといって,友達とあう時間はないという,都合の悪い出張だった.

先週あたりから,彼岸のせいか,すずしくなって,そのせいか,日中も眠くてたまらない日々が続いていた.20日21日の土日は2日続けて一日12時間くらい寝たのだが,それでも眠い.とにかく眠くて眠くてたまらないのだ.周りも眠そうなので,涼しくなったというのは理由の一つだったとおもう.21日の日曜日も10時には寝てたもんね.でも,22日の月曜日の出勤,どんなに眠かったことか!

23日は運動会のお弁当のために早起きしたので,日中凄く眠かった.24日から出張だったので,やはり23日も10時には寝てしまった.それも,こてっと.私は普段,夜中何度か目が覚めるのだが,もうぐっすり眠ってしまい,あっという間に朝だった.

24日の朝,行きの新幹線も眠くて,新横浜までの2時間半のうち,1時間半ほど眠った.そのあと仕事に行ったのだが,そこでも眠い.その日は,そのまま客先現地に入り,11時には眠った.

次の日25日は,遅くてよかったので9時まで寝ていたが,それでもやはり,眠くて朝起きられないのだ.25日は仕事が終わったね,ということで,打ち上げ宴会してしまったので,寝るのが遅くなった,といっても12時には寝ていた.

次の日26日,朝5時半に起きた.眠いがなんとか起きられた.この日もプレゼンがあって,プレゼンは難なく終わった.その後,別のセクションとの打ち合わせに参加して,夕食の用意と呼吸器科通院のため,昼すぎに会社を出てモノレールに向かった.

会社からモノレールまでは坂道だ.私は腰が悪いのでいつもローラーのついた鞄をつかっているが,これが坂道を上る時って,重たくて,巨人の星の「おっもっい〜ぃ,コンダーラー」の場面を思い出してしまった.この鞄がコンダラーだ.さらに,モノレールの駅は階段だ.ローラーがついた鞄は平地では楽だが,階段では重たいだけで最低である.うんせうんせとのぼり,予約している新幹線に間に合うように,小走りでJRの駅を走り,また,階段でうんせうんせとおりて(なぜ,JRはバリアフリーにしてくれないのか??).

横浜駅で降り,毎度のごとく「横浜駅の新横浜行きのホームは理不尽すぎる!」と憤慨しつつ,東神奈川まで行くための京浜東北線を待っていると,突然,猛烈な眠気が襲った.立っていられないくらいの眠気だ.こんな強烈な眠気がしかも突然やってくるとは一体なんだろうか?と思っていると,次に頭がガーンと痛くなった.気分も悪くなってしまい,とにかく電車に乗り込んで,行けるところまで行こうと決心した.なぜか右手だけがしびれてきたので,これは脳神経系をやられたか?もしくは,どこか出血でもしたか?と不安になる.

とにかく,東神奈川まで行き,そこから新横浜まで行った.この時点でかなりしんどかったが,とにかく新幹線に乗るのだと自分にいいきかせた.新幹線までの乗り換えは7分ほどで,歩いて乗り換えることができた.

そのときにはもう強烈な眠気というより,吐き気とか手のしびれとか頭痛が勝っていたのだが,とにかく,眠気から来ているのだから眠ることにした.熟睡はできないが,1時間ほど,うつらうつらした.(しかし,なぜ新幹線で眠ると口があいてしまうのか??いくら閉じても閉じても,気がついたらあいている.口があくと喉が乾燥するのよね.)

少し頭痛が落ち着いたので,モノレールの駅の入っているビルで昼食用に買ったキッシュを食べた.しかし食べたとたんに今度はおなかがいたくなり,こんどはおなかをこわしてしまい,何度もトイレにいく羽目になってしまった.

気持ちも悪いし,しんどいし,どうにもならない感じだったが,とにかく帰宅して夕食を作らなければ.姑と子どもが待っている.

帰宅すると少し気分がましになったので,洗濯ものをとりこんで,出張の洗濯物と家族の洗濯物を洗濯し,その後,呼吸器科へ行った.症状を話すと「血圧じゃないか?」といわれて,血圧を測定した.血圧がなかなかうまくはかれないくらい低く,上が90なかった.よくわからないが,たぶん,その気分が悪かったときはもっと低かっただろうと医者にいわれた.血圧を上げる薬というのはないので,とにかく,安静にしなさいと言われた.こないだの健康診断では110あったので,何かのきっかけでかなり下がってしまったのだとおもう.

病院のあと,近くのいかりスーパーで,タイが安かったので,タイを買い,みそ汁の具を買って帰ろうとしたら,保育園からの友達に会って,家を引っ越ししたので見に来いといわれ,しんどかったがとりあえず見に行った.中古だが内装をきれいにしていて良い家になっていた.

帰宅して,タイを煮付け,みそ汁をつくり,餃子をやいて,お向かいに頂いた漬け物を切り,食べさせた.遅くなったので,姑も子どもも機嫌が悪かった.

血圧が下がると眠気が襲うというのは本当だった.

死ぬときって血圧がどんどんさがって,最後には心臓が血液を送らなくなるらしいけど,そのときって,こんな風に急激な眠気が襲うのではないだろうか?もう,ふんばらないと眠らずにいられないような.で,その力がつきると一気に眠ってしまい,死んでしまうのではないだろうか?もしかして,雪山遭難で眠るなというのも同じような感じかな?

横浜で線路におっこちず,意識も失わず,尼崎に帰れてよかったよかった.


9月28日 ゴダン10周年パーティ

私はゴダンのA6を使ってへたくそなギターを一人で弾いて悦に入っているが,ゴダンのユーザー対象にゴダンの10周年パーティが東京と大阪で開催されることになった.応募したらラッキーなことに当選したので,かがさんとにしなかさんを誘って行くことにした.しかし,かがさんは28日日曜日は都合が悪いということで欠席し,結局にしなかさんと二人でいくことになった.

今朝は先日からの低血圧が尾を引いていて思いっきりしんどく,また,子どもにわさわさと昼食を食べさせて,しっかり留守番するように言い聞かせてからの出発だったので,気は重いわ,体は重いわで,だるだる状態だった.でもせっかくの梅田だし,帰りに三木楽器でボーカルプリチューブアンプというのをお買い物して帰ろうかなと思っていた.

パーティはイタリアっぽいお店だった.タダで参加させてもらったのに,いきなりTシャツを2枚ももらった.さらにちょっとしたおつまみと飲み物が用意されていた.ゴダンの社長と代理店の社長のお話とゴダンの説明のあと,古川忠義さんというギタリストの演奏があった.私は彼を全然知らなかったのだが,とんでもなくテクニカルなギターを弾く人で,私は圧倒されてしまった.エレクトリックアコースティックギターの能力というものを最大限弾きだしたすごい演奏だった.また,この人の表情がものすごくよくて,ギターを弾いているとき,弾き終わったときのにこにこ顔といったら無かった.演奏のあと,恥ずかしかったが思い切って彼のところにいって「すばらしかったです」などと月並みなことを言って写真をとらせてもらった.後でかがさんにきいたら,この人は有名な人でやはりすんごい人らしい.ナマできくと本当にすばらしかったよ,かがさん.

パーティの最後にもらった紙袋の番号で抽選プレゼントがあった.私は39番だった.3等まであるらしく,3等は帽子だった.にしなかさんと「いらないよねえ」などと話していた.40番の人があたったので,となりでにしなかさんが「惜しい」といっていた.次の2等はギターストラップだった.「これは欲しいよねえ!」と二人で話していた.5人ほどあたった.38番の人があたったので「抜かれてるなあ」などと話をしていた.で,いよいよ1等はなんと黒のA6だった.ひえー.2等3等と違いすぎる.A6,16万だよ.会場がざわめいた.今までの2等3等はなんだったのか?

さて緊張の一瞬,年賀はがきも切手しかあたったことがなく,38番と40番に抜かれた私は蚊帳の外という感じだった.

で,当選のかたは・・・・

39番.

えーっっ!!わたしかー???

もうそこからはきゃーきゃーと感激しすぎて,体は震えるわ,声にならんわで,大騒ぎだった.もううれしくてうれしくて.私は黒がほしかったのだ.でも,在庫がなくてナチュラルにしたんだ.それが,黒のエーシックス!

大喜びの私をみて,ロバートゴダン社長も大喜び,二人で握手し,だきついて,彼は黒のA6にサインをしてくれた.もううれしくてくれしくて何がなんだかわからなかった.ギターケースも私が持っているのより数段よいものだった.スタッフまでもが私を羨ましがっていた.会場の他のお客さんは,今考えたら,しらーっとしていたことだろう.「ちっ」とか「けっ」とかいってたかも.

あー,でもうれしいー!本当にうれしかった.人生でこんなものがあたったことなんて,思い返せば16才のときのミュージックライフ人気投票の副賞のダイアトーンたてこんくらいだ.それ以来,結婚式のビンゴさえ当たらなかった私が16万のA6だ.ああ,神様.ありがとう.これって,40才のバースデープレゼントなのね.などと,感激しつつ,店を後にした.

この後,三木楽器でマイクプリチューブアンプなるものを見に行った.一体なにがすごいというのか?あまり期待せず,店員に試しにつかわせてもらうと,

げーっ,今までの私の声は一体何だったのか????

ということで,今つかっているRFXをセンドリターンにおいやり,マイクプリチューブアンプを使うことにした.これで次回以降の水筒バンドの録音はめちゃくちゃボーカルに磨きがかかることでしょう!

あー,充実した一日だった.うれしすぎて血圧上がって今夜は眠れないかも.


9月30日 携帯の写真

にしなかさんの携帯電話は私の持っている携帯電話と同じ機種で,その携帯電話で,当選のときに写真をとってくれた.今日赤外線通信でデータをもらった.

ゴダン社長と私.社長は何も言わずにマシンヘッド裏にサインしてくれた.

古川さんと私.私は当選したギターをバッグにいれて背負っている.


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