2003年7月の日記

 

7月6日 ほんとに病気のデパート

6月のファイルを整理したら,我ながらほんとうに病気のデパート.1月から咳がとまらず,松本医院始め色々と経由して3月に喘息となり,気管支拡張剤と漢方薬を飲むもすっきりせず,6月に風邪ひいて咳がとまらなくなり,呼吸器科が追加され,薬のせいか耳がおかしくなって,次はペインクリニック(麻酔科)へ.

しかし,耳の方はよくなってきた.恐るべし,星状神経節ブロック!急にやめると,再発のおそれがあるということで,2日はなし,3日はなしと言う感じで終了.一つでもなおってよかったよ.

あとはやっぱり,呼吸器科のステロイドがこわいなあ.色々インターネットで調べたけど,ステロイドは絶対こわい!と言う医者と,ステロイドでこそ喘息を根治できるという医者とに別れる.こわいのは,喘息死の原因は患者が「治った」とおもって勝手にステロイドをやめてしまったことが多いという統計結果だ.

最初,呼吸器科のおじいちゃん先生は「ま,2,3週間やってみましょか」だったが,こないだ「いつまで続けるんですか?」ときいたら「3ヶ月はつづけんとな」と変わっていた.漢方の医者によると,全身性の副作用は少ないだろうが,3ヶ月も続けると喉の粘膜が堅くなってしまったり,ステロイドをやめることでリバウンドしたりするとのことだった.

ああ,私はどうすればよいのか?

昨年春にひっこしてから,ぎっくり腰繰り返したり,こんなになっちゃったり.

やっぱり,姑との同居ってストレス多すぎるんだろうか.

昨日もまったくいわれのないことで,きーきーと怒られてしまった.となりできいていた息子もびっくりしていた.

なぜ,あんなにきーきーと私だけが叱られるのか?しかも,原因は他の人にあっても,なぜ,私へ向けるのか?

あっちはたぶん,「私の存在」だけで頭に来ているのではないか?一人だけ自分と血が繋がっていない奴がいて,自分の愛する孫が自分より愛していて,かつ,その憎い相手のご飯をたべさせてもらっているという状態.それが受け入れられないのか?

そんなんで喘息で死にそうになったり,音が変に聞こえたり,腰が立たなくなったりしている私は一体なんなのか?

 


7月12日 さらにデパートの品揃えが増える

9日に職場の宴会があった.それまで喘息がおさまってきていたので,呼吸器科も「少しずつステロイドをへらしていきましょうか」というところまできていた.その言葉で油断したわたしは宴会で結構しゃべり,しかも,「けむたいなあ」とおもいつつも,タバコの煙に身をゆだねてみた.

結果,その夜,のどがぜいぜいいいだした.

そして次の日,風邪をひいた.最初鼻水がでてきて「何かのアレルギー鼻炎かな?」と軽くかんがえていたら,だんだん扁桃腺が痛くなり,夜中に熱がでて,うんうん唸ってしまった.

次の日は鎌倉から出張者が来る予定だったので,午前中に耳鼻科へ行った.

「うわー,喉も鼻もまっかやな〜.ほんまにあんたは次から次へとすごいな」

と医者にいわれてしまった.

というわけで風邪ひき中.

早く治ってくれ.誰かに呪いをかけられているとしかおもえない.


7月26日 あれ日記が抜けてる

そういえば,先週の週末は息子がずっとひっついて離れなかったような気がする.3年生にもなってこんなんで良いのか?保育園のころは,「子どもが親にひっついて離れない時期なんてほんの少しだからたっぷり甘えさせてあげてください」といわれたが,そのほんの少しが3年生になった今も続いていて大丈夫か?

12日の日記で風邪をひいていたが,咳に移行することもなく,結構元気に過ごした.鍼の先生が週末休みだったので鍼もしていないが,なんとか腰も持ちこたえた.このままどんどん元気になってくれないか,私?

うちの会社は今日から夏休みで一旦8月の4日の週は出勤日だが,その次の週はお盆休みとなる.その狭間の週,つくばでずっと実験なのだ.大丈夫か私?自分のことながら,大丈夫か大丈夫でないかわからないこの体.

とにかく養生だな.適度な運動.適度な休息.あと,い〜〜〜っってならない精神状態かな.会社が終わったので会社のヤな人(「いや」な人という意味と「ヤクザ」な人と両方の意)のストレスはとりあえず遠ざかった.あとは家のヤな人だな.

というわけで,この休みは3日高知へ行くことにした.久々の高知だ.レインコートも買おう.

高知は雨量日本一,かつ土地が広いので自転車通学が多いため,自転車通学用レインコートの店というのが成立している.尼崎では考えられない世界.まず,尼崎は土地が狭いから自転車通学が認められていない.あと,やっぱり瀬戸内気候だから雨が少ない.(今年の梅雨は雨の日が多かったけど)

で,女性用のレインコートとかうってないのよね.

それを買いにいくのだ.高知へ.わざわざ.3日も.ほほほ.


そういえば,ブラナイの新譜を入手していて.1曲,「さあ,日本のギターキッズよ,コピーしなはれ」という曲が入っていたのでコピーにがんばっている.ブラックモアのギターテクニックは間違いなく現在が最高潮で,音を拾って弾くだけでも大変だが,そのニュアンスときたら,すごい.ジェフベックとリッチーブラックモアはすごいな.何十年進歩し続けるつもりか?

3曲目のジョーンバエズの曲はすっごく良いので早速水筒バンドのに○○かさんとコピーの準備にはいった.半音下げなのでちょっと準備が大変.水筒バンドのか○さんは,今忙しくて大変なのでとりあえず.

「僕の誕生日が9月22日だからそのあたりでやろうか」

といわれた.はぴばーすでえでもスタジオ代はワリカンだよ.

ああ,そういえば,レッドツェッペリンのDVDまだ見てない.暇みつけてはよ見よう.あ,でも,その前にギターコピーが先か?あ,歌もコピーしておかんと,スタジオで迷惑かけるしな.うーん....


7月31日 高知(の人しかわからない日記)

レインコートを買いに高知へ帰った.せっかく高知へ帰るので友達にあうことにした.まずは,「音が低く聞こえる病状」にアドバイスしてくれて,かつ,病院まで探してくれたM外科のM君(ブライアンメイモデルの人.中学〜高校と同じバンドだった)に会うことにした.その音が低く聞こえるのが治ったとき「高知へ帰ったら是非M外科へ来てください」といわれていたし.

でも,いつ行けばいいのかわからなくて「いつ行けばいい?」と今回メールをだしたら「いつでもどうぞ」とかえってきた.いつでもといわれても,診療中はまずいんじゃないの?それとも休み時間の方がまずいのかな?とわからないので,診療終わり頃に行けばいいいかなと勝手に解釈した.

で,高知へ帰った29日.高知空港から空港バスに乗って高知市内に向かった.空港バスって終点は高知駅だよね?でも,はりまや橋でいったん降りてホテルで荷物おいたほうがいいのかな?

なんでもいいけど,高知の空港バスって変なシステムで,バスに乗るときに,行き先までのチケットを買って,乗るときにそのチケットを渡す.大抵のひとがはりまや橋か高知駅で降りるから問題ないのかもしれないけど,はりまや橋や高知駅は700円,他は300円とか400円だったりする.つまり,最初に300円いれておいて,その後,はりまや橋で降りても誰が300円のチケットをいれたかよくわからない.つまり,これって,田舎によくある野菜とかを道路においておいて,善意でお金をいれて野菜を持っていく商法と同じことが行われている.いつもこれが空港バスというビジネスで成立しているのが不思議.

今回はそのシステムに疑問が生じたのか,運転手が乗るときに「どこまで乗るの?」とチケットを渡すときにきいてきた.でもこの時点で「知寄町」とか安いチケットのところを行っておけば別に問題なくバスに乗れる.50人とか乗るバス全員の行き先なんか覚えられるわけがない.

それはいいとして,はりまや橋で降りるつもりで「はりまや橋」と最初に自己申告しておきながら,M外科がJRの円行寺駅にあるので,やっぱり高知駅まで行こうと思い,はりまや橋で降りずにそのままバスに乗り続けた.

はりまや橋からJR高知駅まで行くにはバスは右折しなくてはならないが,私の乗ったバスは直進し,西へ行き続けた.「あれ?」とおもったがたぶん,高知の繁華街を通って,少し遠回りした後高知駅へ戻るのだろう,たぶん,もうすぐ右折して高知駅へ行くのだろうと思った.

が,バスは西進し続けた.どうせ西進するのであれば,升形にあるレインコート屋さんもみていこうとおもった.升形にバスはきたが,あるべき角にレインコート屋さんが無かった.「あれ?上町だったかな?」とおもった.しかし,上町にもなかった.

上町.バスはえらく西まで来た.もうJR高知駅にはたぶん行かないだろうという予想がついた.一体どこまでいくのだろうか?このバス・・・.でも,たぶん,絶対JRの駅が終点だろうなと自分に言い聞かせ,不安になりつつバスに乗り続けた.

なんとバスは鏡川をわたった.つまり南の方向,左折したのだ.JRはどうみても右の方向だ.どんどんJRから遠のいていく・・・.まあ,最終的にはタクシーで行けばいいか,と自分に言い聞かせつつ,バスはなぜかJR朝倉駅へついた.JR,一体どういう路線なのか?

そこで降りればいいのに,他のお客が乗ったままなので,どこまでいくのだろうか?と私もバスに乗り続けた.すると,バスはなんと高知大学のキャンパスへ乗り込んだ.大学キャンパスに乗り込む空港バスとは一体??

結局高知大が終点だった.バスの運転手に「このバス,高知駅へ行かないんですか?」ときいたら「あんた,高知駅へいきたかったがかね.そりゃめったね.まあほんなら,バスにのっちょり.高知駅までつれていっちゃるきに」と親切な言葉.でも,最終的には円行寺へいきたいのですと言う話をしたら,そりゃ朝倉駅からのほうが近いから朝倉から行きなさいといわれた.

で,キャンパスをでて朝倉駅へ.丸太で作られた一見メルヘン風朝倉駅は,まさにメルヘン風で,無人駅だった.ほとんどやってこない汽車の時刻表をみたら,あと3分でやってくることになっていた.なんてラッキーなのだ,私.と私の運の良さに感謝しつつ,ホームへいく.

しかし,私が行きたいのは高知駅のぼり方面だ.でも,その駅からはいったホームは反対のくだり方面行き.向こうのホームまでの橋はない.どうやったらあそこへ行けるのか?と思いをめぐらせている間に汽車はやってきた.がーん.次の汽車は30分くらい後だ.あれに乗らなくては雨の中傘もなく30分待つことになる.

しかたなく,その辺のふつうの男の人を捕まえて,「すみません,あっちのホームへ行くにはどうしたらよいのですか?」ときくと,「あの踏切をわたる」といわれた.あの踏切って,駅の外じゃんかー!しかも汽車きているからしまっている!

とりあえず踏切まで行くが,当然,その汽車から降りた人たちも遮断機が下りているのでじっとまっている.えーん,という顔をして汽車の運転手の顔をみたらなんとその運転手,私をみてジェスチャーで「こっちこい」といっている.

そっちへいくためには遮断機をすりぬけていかなくてはならない.でも運転手が行っているので,遮断機をくぐって線路をわたり汽車にのった.

助かった!でも,こんなことが許される高知って一体!

まるでとでん(土佐電鉄の路面電車;高知市民の足)のような一両のディーゼルカーにのったら,とでんよりかなり中は広かった.(当たり前だ)結構席も埋まっている.朝倉から高知駅までタクシーで10分くらいなので円行寺まで汽車でも10分くらいかな?とおもいきや,円行寺の前のアサヒという駅で10分停車されてしまった.歩いた方が早いのではないか?

円行寺ではすぐにM外科がみつかったが,案の定M外科は診療で忙しかった.「いつでもおいでって言われたんですよ.ははは」と受付嬢に話をしたり,近くの100円ショップで傘を買ったりして暇つぶししていたが,そのうち,応接室へ招かれてしまった.それまで,待合室でテレビをみたり,本を読んだりしていたのだが,応接室でお茶を出されたとしても,一体何をしてまっていればよいというのか?

10分くらいストレッチしていたら,M君が現れた.おー,M君!いつものにこちゃんスマイルだ.20年前と全然かわらない.お礼にライブのテープをわたし,病状の経過を報告した.M君は親切に喘息のステロイド治療の特集がされていた2002年の日経メディカルを探してくれていた.しかし,日経メディカルってあるのか.日経メカニカルと日経エレクトロニクスだったら知っているが.

「レインコート屋さんがなくなっている」という話をしたら,M君は「入交とか,学生服やさんにきいてみたら?」と知恵をくれた.

あといろいろだべってM外科をあとにした.

M外科のすぐ側にバス停があってそこから堀詰まで行った.堀詰でバスをおりたら目の前になぜか入交学服があった.なんて運のいい私.なんだか男子服みたいだったが店内に入ったらレインコートをおいてあった.ラッキー.しかも4900円とお得だった.(ちなみに,例の升形のレインコート屋で買うと1万〜2万円台だった)その後,近辺で昼食をとることにした.ちょっと寒かったので途中ジャケットを買った.バーゲンで半額だった.大丸の6Fにカフェ風のごはん屋さんがあって,そこで昼食をとった.

なんだか眠くなったので,ホテルにチェックインしてそのまま眠ってしまった.

目が覚めたら6時半だった.

土佐57回生のMLで約束していたSOUちゃんのやっている塾は6時までなので,その後でご飯でも食べようと言うことだった.SOUちゃんに電話して,大丸の地下でかい出しし,ご飯を食べることになった.

大丸の地下は「これが本当にデパートの地下か?」と疑いたくなるくらい狭かった.途中高校の同級生H子にあった.妹さんをつれていたが,これが美人姉妹でびっくり仰天した.叶姉妹もびっくりだ.H子に「いやー,かえってきちゅうがー?」といわれつづけて「バンドの練習?」ときかれた.すっかりkeiko=バンドが定着してしまったようだ.なんちゅうか「まだこのおばさんはやるか?」という感じかもしれない.

SOUちゃんちにタクシーで行ったら,カーデガンがなくなっていた.タクシーに忘れてきたみたいだ.丸めるとちっちゃくなって,しわにならないすごく役立つカーデガンだったが,その後タクシー協会に電話してもでてこなかった.くすん.

SOUちゃんちにはその後,Jさん,K埼さんとバンド仲間があつまり,4人でほんっと〜〜に楽しいひとときを過ごした.オタクでおしゃべり会.適度なアルコールと適度なごはんとおかず.そして,音楽好きの仲間.なんちゅう幸せなひとときか!

その後,M美ちゃんがライブするバーに行く予定だったが,あっという間に時間は過ぎ,気がついたら1時前だった.休みできている私はいいが,いつも10時にはねているSOUちゃん,残業が続いているK埼,次の日5時起きのJさんはさぞつらかったことだろう.ごめん,3人さん.

レインコートの話をしたら,すかさず,K埼が「四国ビニル,つぶれたろう!」といった.そうなんだよ.つぶれたんだよ〜.でも入交にあってねえ〜という話をした.あと,尼崎にはそういうレインコート屋さんがないことなどを話をしたらびっくりしていた.高知は自転車通学が認められている県なのだ.Jさんは「傘さし運転でもかまん」といっていた.警察官の前を傘さして運転しても別に何も言われなかったという.ほんまか?

次の日は母と会った.正月にADSLに変更してあげたのに,全くメールを送らないのでどうしているか?とおもってみてみたら,メールが繋がらないと言う.

ウインドウズにアウトルック,インターネットエクスプローラさらに,接続はADSLと全くわからない環境で,環境セットアップをはじめた.OCNがやってくれたそうだが,メールの設定がまちがっていた.また保存の仕方もおかしかった.

全ての設定を整え,マニュアルを作成したら5時間たっていた.仕事でも連続で5時間もパソコンには向かわないのに,えらい肩がこってしまった.

夜は土佐料理をたべて,またホテルで寝た.なんだか暑くてなかなか眠れなかった.次の日も母のところへいってパソコンの確認をした.よしよし.

1日1回はたちあげることを約束させて飛行場へ行った.

時間があったので,伊丹空港から初めてバスと電車で帰った.1時間半かかった.車だと15分か20分なのにかかりすぎ.でも安かった.全部で400円くらい.タクシーだと2000円くらいするから,めちゃ安.

というわけで,カーデガンを無くしたのは痛かったが,有意義な高知旅行だった.高知の友達は皆暖かい.いや,高知の人は皆暖かい.公衆トイレなどでのしらないおばさんたち同志のやりとりをみていても微笑ましい.

もうすぐよさこい祭り.夕方のアーケードでも練習していた.仕事が済んでからのレッスンだ.衣装も揃えて,3日間猛暑の中踊りまくる.私の実家のあった鏡川の辺では花火大会もあるね.

よさこい,よさこい.

 

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