2002年5月の日記

5月3日 連休終盤

5月4日 出勤

5月11日 谷底

5月12日 母の日

5月19日 雨

5月24日 出張疲れ

5月25日 スコア

5月29日 幼なじみ


5月3日 連休終盤

あー,もう,そろそろ会社行かないといけないなあ・・・.と思うだけで,なんだか,ぐったりである.ちょっと連休が続いただけで,もうずっとこの調子なのではないかと錯覚してしまう.これが例の5月病かいな.

なんだか,肩とか首もこってきたし,腰も痛いし.

こどもはいいよなー.家事はないし,体もぴんぴんだし.今日もドッジボールにつきあわされたけど,向こうはどんどん上達するのに,こっちはへたになる一方だよ.しかも,体もいたい.単なる運動不足かも.でも,運動する→腰傷める→養生する→運動不足という悪循環から抜けられない.


最近,どこかの政治家が,不倫疑惑でマスコミに取りざたされて,それについて「良いか悪いか」という討論されているのを,なんと3つのテレビ番組で見た.なんで,3つともそんな討論しているんだろう?ゴールデンウイーク中だったので,普段見ない時間帯だったが,もしかして,平日の昼というのは,こんなことばっかりやっているのか?

そういえば,政治家でもない,ふつーの主婦に対して,みのもんたは,その手の相談に応じているらしいな.それも,毎日.何かのコマーシャルでもそういうのあったよね.

その不倫疑惑なのだが,討論を聞いていると,どうやら,世間にばれたのは,女が喋ったのが原因らしい.その3番組の討論では,いろいろな分野の人とか,女の人もいたんだが,全員がその政治家が不倫をすること自体については,「不倫は悪い」といった人は一人も居なかった.

一昔前なら,日本は建前を非常に重視する国なので,「不倫はよくない」とか,女側からみたら「浮気されたら即離婚だわ」などということになっていたんじゃないか?

というか,その討論で,日系2世の人が「日本はもともとそういう国だった」という話をしていて,そういえば,不倫とか浮気でがーがー言っていたのは,もしかしたら,明治大正以降のほんのわずかの時期だったのかもしれないなとおもった.この時代以降なのは,キリスト教か何かのせいなのかなあ??公立の遊郭があったり,何号さんとか,あったよね.

討論の大筋は,「政治家という立場なんだから,何でも責任もって行動しろ」と,「当たり前の大人の約束事を破るような女とつきあうということ自体,彼の人としての器がしれる」といったものだった.江戸時代かなんかに戻ったのか?と私は感じた.つまり,浮気や不倫というのは,大人にとっては当たり前のことで,むしろ,それは甲斐性の範囲内にことであり,結婚というのは,社会的なもの,法律的なものという認識だった.私がびっくりしたのは,結構有名な,マイホーム主義的なイメージの女優さんでさえ,そういう発言をしたことだった.

日本はかわりつつある.というか,本音に戻りつつある.

平行して,NHK教育で,離婚に対する話をやっていた.日本の離婚率もどんどん上がってきているらしい.20年前の子供と現在の子供に対して,「パートナーがどうしても納得出来ない場合離婚してもよいか?」のアンケート調査を行った資料が公表されていた.20年前の子供(つまり私の世代)は1割程度が良しと答え,それ以外は「我慢するべき」という答えだった.私もこの考えが当たり前で,世間の常識と思っていた.結婚は社会契約であり,また,子供を養育,または,年老いた親を養うための責任である.また,専業主婦であれば,夫は妻を養う責任があり,それ故,離婚の場合,多額の慰謝料が払われ,養育費という年金まがいのものも世間では「それが当然払われるべきもの」となっている.

その常識は実は現在の子供達には無いらしいのだ.アンケートによると,ほとんどの子供達が「離婚してもよし」と答えている.子供が親に対して,寛容になっている,もしくは,家族の絆が希薄になっているのだ.

しかし,NHK教育では,この傾向を良いものとしてとらえていた.確かに,すべてが合理的に進むのは,良いことなのかもしれない.「結婚して,責任さえとっていれば,甲斐性の範囲内で何をやっても黙認される」という,表向きの社会契約と,日本の裏社会が微妙なバランスで成立する,ちょっと綱渡りな,それでも,それで経済が走っているといった,古い世代の日本は,こ難しい世の中なのかもしれない.

すべてがクリアで,すべてが合理的に,まるで数学か,物理のように,好きな人とはつきあうが,嫌いな人とはつきあわないという世界に,日本は進むのか?

そうなれば,日本人が抱えているストレスは極小になるかもしれない.

同時に,ストレスあってこそ感じる,幸福感や,いろいろな,自分と合わない人とも,無理矢理合わせていく苦労やノウハウを知ってこそ,本当に心から大切だと思える人との,幸せな時間を感じることができなくなるかもしれない.

また,深くつきあってこそ,一度は深く愛したからこそ,深く傷つき,深く考えるんじゃないだろうか?浅いつきあいでは,深く傷つけれられることも言われないだろうし(言うような奴もいるが),ほんの少し,相性の合わない部分が,もう世界の終わりのように全く合わないと感じるんじゃないだろうか?

そういう不幸感を味合うことなく,幸福の絶頂に行けるのだろうか?

すっごく不幸で,ほんのちょっとした幸せを莫大に感じる人と,あまり不幸でなく,いつも1ランク上の幸せばかり見ていて,「超幸せ感」をあまり感じない人と,どっちが幸せか?

すっごく不幸といっても,死んでしまっては意味がないので,死なない程度の不幸であるが.


5月4日 出勤

朝から出勤したら,工場がなんだかしーんとしていた.飛行機も飛んでいないし,鳥もほとんどいない.時々風で,おばけの木がさわさわ騒ぐだけ.

「おばけの木」とは,工場の前にある3本の大木で,だれも名前は知らない.が,「おばけの木」というと,大体通じる.

柳のように幽霊がでるような雰囲気ではない.夜見ると,木全体がハロウインのおばけのように見える.最近は,よく手入れされていて(手入れといっても,大きなクレーンがやってきて,ばさばさと枝ごと切ってしまう.枝といっても直径が20cmはあるような,大きな枝.),昔のようなおばけの感じが少し薄くなっている.

私が入社したときは,こうもりの巣やら,小鳥の巣がたくさんあって,木の下は糞だらけだった.夕方になると,小鳥が集まってぎゃあぎゃあと大騒ぎし,こうもりたちは何も言わずにすいすいと飛び回りはじめた.

夕方帰宅しようとすると,そのこうもりたちが,ほとんど目の前まで,すごいスピードで直進してきて,「ひえーーーっ!」と思った瞬間,すいっと,避けられたりしたものだった.どきどき.

数年たって,衛生上の問題だろうとおもうけど,巣はすべて撤去された.夕方の小鳥の大騒ぎもなくなり,こうもりもいなくなった.

それでも,おばけの木だけは残っている.今日みたいに,道路に人がいない時,おばけの木だけが,さわさわ騒いでいる.

おばけの木の一角には,他の低木と,楠などの大きな木が2本植えてあって,いつでも日陰になっていて,なんだか,ちょっとした森のような感じ.

私は,このおばけの木のほんの10mくらいの一角が好きで,毎日,出社するときは,この木を見ながら自転車をこいでいる.

夕方には雨が降り出して,帰るころには,本格的な雨になった.静かな夜.静かな雨.レッドツェッペリンのレインソングが頭を回る.

春の一日.


 

5月11日 谷底

久々の谷底感を感じて,現在5日目.昨日は冷静に状況を考えた.私は自惚れていたのかなあ.

ちょっと前までは,こういう事態を警戒して,常に最悪のケースを考えたり,自分が思ったことでも,半分は言わなかったりしていたんだけどなあ.

ここんとこ,調子づいていて,好き放題やっていたのかもしれないな.

世の中のすべてを正直にうけとめて,正直に返していたのかもしれないな.

なにかわからないものを信じ切っていたのかもしれないな.

信じ切るというか,それが当たり前だと思っていたのかな.

こんなときでも,やっぱり家族の面倒を見ざるを得ないこの状況は,幸か不幸か?ただ,息子と向かい合っていると,一瞬忘れられるのよね.

忘れることが早道か?


鬱なのかな

と一瞬おもったのだけど,仕事や家事はこなさなくちゃいけないと,ただ,それだけを頼りに,前に歩いているような気もするので,鬱じゃないみたい.

鬱の人って,周りの迷惑とかどうでもよくなるんだよね?今のところ,周りの迷惑だけ考えて,それだけ気にして生きているし.それを気にしているから,生きていられるというか.

谷底の次の日の朝は,さすがに,遮断機おりて,待っているとき,飛び込むのが当たり前のような気がして,ものすごくどきどきして,頭に血がのぼったけど.

でも,鬱のひとって,そんなことにならずに,ふらーっととびこんじゃうよね.

おかげで,生きてます.生きて,日記書いている.


今日も朝から出勤したのに,前回みたいに,おばけの木をみることもできなかった.そういや,ここ数日みてないな.

今,日記かいて,下にある文章みて,

「そういえば,ここ数日,いつも通りの歩き方してない」

と実感した.

明後日,会社へ行くときは,気をつけて,おばけの木を見ながら歩こう.

少しずつ,自分を補正していこう.


5月12日 母の日

実家の母にカーネーションをおくっておいたら,今日それが届いたと電話がかかってきた.久々に母と電話で話をした.

最近どうよ?うーん,まあ,かわらずよ.

といった,ふつーの話をしていた.が,最近,姉が母にパソコンを買い与えたらしい.で,ホームページの見方をまず教えたらしいが,なんと,私のこのホームページK's areaが,姉にばれていて,(母がいうには,偶然見つけたらしい.何のキーワードでひっかかったのか?)

その中の母を話題にした「こんなことってない?」のページを母のブラウザにブックマークしたらしい.

で,電話で,母が私に,書いてあることに偽りありのような抗議をしはじめた.

「あんた,あれはちがうで,私がゆうてるのは,高知弁はイントネーションが標準語に近いってことやで」

って,あんた,まるで,書いてあることと,全く同じことをいわはった.

母変わらず.母おそるべし.

しかし,姉,これみてるのか.なんだか,がーん.見てるなら見てるで,メールくらいくれよ.それとも,職場で仕事中にみてんのか?家で見てるとしてもモデムだろうし,職場で見るにしても時間がないから,この底なし沼のようなホームページ全体は絶対にみられんだろうな.


 

5月19日 雨

雨が多いと気分も落ちる.30年以上,雨には縮毛で悩まされたこともあるし,それに加えて,最近は腰痛も加わったせいか.

で,本日,やっと,夕方になって晴れましたね.よかったよかった.

これで何もかもがきっと良い方向に向かうことでしょう.

ジオシティも,何事もなく,復活してくれたし.


5月24日 出張疲れ

21日と22日に,工場へ出張した.

新人のときに,かなりお世話になった工場だ.自分の職場では,はみだし者として取り扱われた私は,ここの工場で,生きていくためのノウハウを授かり,技術的指導を受けた.

工場は海の側にあり,気候もよい.私がここに来るときは,大抵晴れている.近くに小山があって,なんだか,故郷のようだ.

ところが,21日は,初めて会う人たちとの連絡がうまくとれず,いきなり,怒られてしまった.

「研究所じゃ,それでいいのかもしれないけどねっ,製作所じゃ通用しないんだよっ!」

と,思いっきり怒られた.

こっちは,最初別件の会議の約束をしていたのだが,その仕事を入れることになり,その人はその日別の仕事をしているから,あいたときに私の会議に連絡を入れるときいたので,ずっと待っていたのだが,なんと,当日は,向こうは私が直接そっちへ行くと勘違いして,向こうも待っていたらしい.なんと1時間半もぼーっとまっていて,その間,10人くらい,仕事をとめて,私をまっていた.

私が自分が悪いことをしたという気はなかったが,とにかく,向こうが怒っているので,平謝りに謝り続け,作業をおこなった.大体,この作業だって,向こうのためにボランティアでやってあげてるのに〜〜.とおもいつつ.

そっちの作業が一段落し,昔お世話になった人と別の仕事にとりかかろうと,クリーンルーム内のチャンバーにはいったとたん,

チャンバー扉のすぐ向こうが段差になっていて,クリーンルーム用の男性のでっかい靴をはいていた私はこけてしまった.ものすごく痛かったが,それどころではないし,はずかしいので痛くないふりしてそのまま仕事していたが,だんだん,ものすごくいたくなってきた.

現場での作業が終わって,打ち合わせのために事務所へ戻って,靴下脱いだら,右足小指の爪のまわりが血だらけになっていた.

その小指の痛いのをかばって,土踏まずも痛くなってきた.痛い痛い.

その日の夜,ホテルでゆっくり寝ようとおもったら,隣のシングルルームで,3人の男女がさわいでいて眠れなかった.1時半ごろ,フロントに電話して注意してもらったが,その後また,うるさくなり,気がついたら朝の5時.もう一度フロントに電話して注意してもらったが,寝不足.

足もいたいし,眠たいし,早く仕事へいこうとしたが,なんと,今度は会社への足のモノレールが故障.あきらめて歩いて行こうとするが,足が痛くて歩けない.

で,仕方なく何十人も並んでいるタクシーに並んだ.

この日の仕事は他の会社の人たちもふまえての試験だったが,○ッ○ードの外人のあほが,パソコンの操作を間違えたらしくて,試験のやりなおししたりして,時間がかかったりした他は,順調に進み,仕事はすばらしいできばえでおわった.私が1年前に提案して,検証したことがちゃんと役にたち,みんなに感謝されつつ,尼崎へ帰った.

疲れた,眠かった,痛かった.でも,最後は良かった.

運気のカーブがプラスになり始めたと信じている.


5月25日 スコア

朝,息子の参観日で学校へ行き,その後,会社で仕事して,3時くらいに帰宅したら,皆,遊びにいって,家にだれもいない状態になっていた.これ幸いと,梅田に楽器を見に行った.

楽器とは,ブラナイのバンドで一緒にやっているNさんのギター,ゴダンである.この楽器はゴダンと呼ばれたり,ゴディーンと呼ばれたりしているらしいが,楽器屋のおじさんが,ゴダンというから,ゴダンなのだろう.

私はエレキギターしか弾かないので良くしらなかったが,アコギの弦はエレキよりかなり太く,弦高も高い.しかも家でちょっと弾こうとおもっても,音がでかい.

ゴダンは,エレアコなのだが,そこそこの音量で響き,なおかつ,エレキの弦を使えるのである.さらに,ネックも細い.

というわけで,彼が10万未満で購入できたという梅田のKEY楽器へ行ったのだが,在庫がなく,しかも,とりよせても,12万ということで,さんざん店でごねたあげく,名刺だけもらって,店を出た.

その後,三木楽器にも行ったが,それらしきギターはなかった.が,しかし,三木楽器で,幻のシャドーオブザムーンのスコアを見つけた.(絶版になっていた.)最近,ポッサムラストダンスというボーナストラック付で再発売されたシャドーオブザムーンだが,なんと,スコアも連動して,ポッサム付で再発売されたのだ.

私は,このポッサムをここ最近ずっと練習していて,やっと最後まで音を拾い,現在,1/4くらいのゆっくりリズムで弾けるようになっていた.

で,自分の運指を答え合わせすると,今一番弾きにくいと思っている部分の解答があった.音はあがったりさがったりしているのだが,ハイフレットを使うことで,なんと,ダウンストロークだけで弾けるのよ!

ををっ,すばらしい.

早速帰宅し,弾いてみた.ばっちりだ!

このフレーズが続くのだが,ちょっと,最後の方は,これだけではだめみたい.(スコアが間違っている)

他にも間違っている箇所がいくつかあった.さらに,このスコア,えらい急いで作られたようで,はしょられている部分まである.

でも,そこは,自分で既に弾きやすいようにコピーしているから,いいのさ.へへへ.

というわけで,落ちていた運気も底を打ったか?

このところ,天気もいいし.このまま,上昇しつづけてほしいな.


5月29日 幼なじみ

このところの運気の低迷を払うため,時間をつくって,中学高校の友達と会った.ひとりはふーちゃん.ひとりは中学1年の時に同じクラスになって,同じ軟式庭球部に入ったIさん.Iさんと会うのは10年ぶりくらいのひさしぶりだった.ちょっと「奥様」になっていたが,ほとんど変わっていない.

3人で思い出話やら,現在の状況なんかをしゃべっていたら,あっという間に時間が過ぎてしまった.

そういえば,3人で学生のころ,筑波博へ行ったのだった.ふーちゃんはすでに東京に住んでいたので,Iさんは飛行機で,私は新幹線で東京に向かい,その後つくば博へ行ったのだった.

その旅行の思い出というと,3人でばらばらなのだが,唯一共通の話題というと,つくば博の警備員が皆男前で,それがつくば博観覧中,ずっと,3人とも気になっていて,とうとう,最後に帰る時分になって,男前の警備員さんと写真をとらせてもらったのだった.

3人とも男前に弱いのか.(^^;

現在サッカーで世界中からサッカー選手がきているらしいが,ふーちゃん曰く「イタリアは美男子ぞろい」ということだった.(今時「美男子」という単語もいかがなものか)で,「それはなんという名前のひとか」とか,いろいろふーちゃんに聞いたがわからなかった.

大体,聞いてどうする?私.

というわけで,3人とも20年たっても,いまだに美男子に弱いのだった.

ただし,現実の生活においては,美男子とは全く縁遠いのであった.

 

 

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