2002年4月の日記

4月12日 うれしい季節

4月14日 カンコピ

4月15日 職場にて

4月28日 ゴールデンウイーク

4月30日 加賀家訪問


4月12日 うれしい季節

今年の桜は早い.一気に散ってしまった.例年なら,たかちんの誕生日に満開だが,今年は,その1週間前に花見を終えてしまった.

桜ってすごいな.ずっと枯れ木だったのに,その1週間後には,まっピンクになり,さらにその1週間後には,ま緑に変わる.その枝振りや葉ぶりのすごいこと.うちの会社の前の道は,桜の木がこれでもかというくらい植わっていて,そのどれもがすばらしく枝振りがよい.木の間隔も絶妙で,朝通るたびに,現在の緑化してしまった状態でも見とれてしまう.この桜だけで も,この会社に入ってよかったと,つくづく感じる.

よい季節だ.

うれしいこともてんこもりだった.

先週末日曜日のブラナイの練習には,突然東京から大塚さんがやってきて,うれしいサプライズだった.まさか来てくれるとは思いも寄らなかったので,本当に本当にびっくりして,そして,本当に本当に本当に!うれしかった.ここ数年で一番のび っくりうれしいだった.いや,ここ数十年かもしれない!

誰かが,びっくりさせてうれしくさせてくれるなんてことは,私にはあり得ないことだと,頭から信じていた.というか,頭をよぎりもしなかった.大塚さん,本当にありがとう.生きていてよかった. どんな苦労も乗り越えたら,いつか,そんな幸せがやってくるかもしれない.そう考 えたら,精神的苦労なんて絶対乗り越えられるんじゃないだろうか.

大塚さんとは半日位いっしょにいたのに,スタジオに6時間もいたため,お話したのは,その後の宴会の数時間だけだった.ああ,もったいない.なぜ,そのまま出張先へ帰るのか?あとで聞いたら,にしなかさんちも「大塚さんがいつでも泊まれるように,きれいに掃除していた」というのに,なんてもったいない.

いや,大丈夫だ.私たちにはゴールデンウイークがある.加賀さんのウズベキスタンもなくなったことだし,大塚さん迎撃体制は万全である.


仕事のほうは,超多忙感が抜けた感じ.アイテムはたくさんあるのに,なんだか緊張感が飽和してしまった.とりあえず,報告書を何個か書いたからだろうか?まだまだ締め切り待ちがたくさんあるというのに,この飽和感はなんだろか?

考えてみると,3月末〜4月はじめにかけて,怒濤のように来ていた製作所のフォローが滞っているのだった.つまり,むこうも忙しくなったというわけだ.そのまま,忙しくしていてくれ.示し合わせて複数のフォロー場所がいっぺんに暇になると いやだな.


たかちんも学校が始まり,そして,給食も始まった.朝の弁当作りが終わり,楽になったのだが,起き癖が抜けず,毎朝6時に目が覚めてしまって,もったいない.でも,腰のために,とりあえず,横にはなっている.運動もしたほうがいいんだろうな.

てなわけで,3月末の別れの季節から4月はじめの怒濤のフォローの涙の時期 越え,一気に幸せになってしまった.

私は,本当に簡単に幸せになるやつだ.同時に,簡単に不幸にもなるが.


4月14日 カンコピ

ブラナイのバンドに10月まで遊びに来てくれているKさん(Kさんばっかだな.ク○さんとしよう.)が,再発売されたブラナイのファーストアルバムを回覧してくれた.それまでの日本版には入っていなかったポッサムラストダンスがボーナストラックとして入っているのだ.聴いてみると

うっとりするような曲だった.

テンポが途中までないのだが,そこがなんとも.一度テンポが入るが,また,崩れる.そこの崩れ具合がすばらしい.寒気がするような美しさ.

未完成的な感じもあるが,リッチーが思いついてぽろぽろ弾いた感じもして,イイ感じ.

曲の構成としては,サードアルバムの9曲目のストームにかぶっている.

早速コピーしはじめた.まず,最初のフレーズの音をとるが,テンポがないので,音がとりにくい.まとまった時間がとれないので,20分やって,また明日.

ほんの15秒くらいのとこなのに,一体何時間かかっとるんだ,私.加賀さんだったら,譜面みただけで,一瞬でコピーってとこなんだろうな.

確かに加賀さんとかと比べると,加賀さんが1000としたら,私は1くらいだ.でも,自分では,この曲は0からはじまり,0.001になり,一挙に10倍の0.01になりと,どんどん進歩している.加速度としては,ログだ.

ギター楽しい.ちょっと練習すると,どんどん弾けるようになる.そのレベルは他人から見ると,低レベルだが,自分ではとっても楽しい.

今日は30分くらい練習できて,テンポにはいるところの前まできた.と思っていたら,あとで聴き直したら,なんか抜けてる!(^^; 完全コピーならぬ「勘違いのコピー」カンコピだ!!

でもうれしいな.ちょっとでも弾けるようになった.速度はリッチーの100倍で,何ひいてんだか?曲になってないけど,でも,うれしい.

ジェフベックのWhat mama saidのタッピングを覚えたときも,最初そうだった.最初100倍くらいの早さでタップしていた.でも,ちゃんとできるようになった.

そうそう.加賀さんの「ギターは一度弾けるようになったら一生もの」という話について,理論的に載っているサイトがあった.

http://www.vocal.co.jp/1_2.html

「ある日突然うまくなる」そして「その技術は一生もの」.わかりやすくいうと,一度自転車にのれるようになると20年乗れなくても少し練習すれば乗れるようになる.「技能記憶」というらしい.

他に「記号記憶」「物語記憶」がある.「記号記憶」は,文字や楽譜,数字,標識などで,私が最も苦手とするジャンルだ.歴史の年号を覚えたり,人の顔や名前を覚えるとか,社会生活に最も大事な記憶である.

「物語記憶」は出来事の記憶.彼や彼女との出来事.親子の出来事.そのほか,体験したこと.断片的な印象として残ることが多い.でも,その方がいい.いいことだけを思い出すことができれば・・・.

技能記憶は一生もので消えない.それって人間が生きていく上で,そういう風になっているのだとおもう.

その技能記憶に,へたではあるが,私にはギターと歌が残ってくれた.自分に感謝.


4月15日 職場にて

実験室(最近,かがさんに「keiko部屋」といわれている.お相撲か.)に,この日記でたまに登場するNくんがやってきた.

「ねーさんの日記に,俺,しょっちゅう登場しとるやんけー!出演料もらわななぁ〜」

とまあ,若いのに,オヤジギャグをかましながらやってきた.で,

「俺,しょっちゅう,なんかにあたっとるゆうてかいてたやろ!甘い甘い.俺のアタリ具合はそんなもんとちゃうで.

まずな,中学の時,国道,自転車こいどったらな,前から,木飛んできたんや.びっくりしたわ.」

えーっ,木??それってこわくない?

「前から来る車がこっちへ突進してきて,道の脇の木をバキッて折って,車は水銀灯にぶつかってとまったんやけど,その木がこっちへとんできよったんや」

って,あんた,それ,木が飛んできたくらいで済んでよかったやん,車が飛んできたら,死んでるで.

「で,大したこともないのに救急車に乗せられて頭のレントゲンとったら,頭がわれとるいわれて,よーみたら,髪の毛にガラスがささってただけやったんや」

「まだあるで.高校のとき,原チャリではしらせとって,オカマほったり,大学のときは,家のけー(軽自動車)で前の車,十字路で,よーみえんかって,トラックにぶつかったり,就職してからは,よっぱらっとって車でタクシーのオカマほってもた」

さすが,アタリ王.アタリとは関係ないが,彼は高校のとき,喫煙していたのがばれて,般若心経を450枚も書かされたらしい.あと,やたら,仏さんの顔のスタンプを1日中押しまくる刑とかも受けたらしい.

「人生いろいろあるって」

って,私にはそんなことはまだない.般若心経はたぶん一生書かないんじゃないかな?というか,そんなにいろいろなものにぶつかりたくないぞ.


4月28日 ゴールデンウイーク

参観日のことをたかちんのページにアップロードした.早く友達を作って楽しいスクールライフを営んでほしいもんだ.

ゴールデンウイークといっても,学校がある場合は,30日〜2日は普通の日なので,連休にはならない.というか,ゴールデンウイークが連休なのは,サラリーマンだけだな.普通のお店はやってるし.サラリーマンって日本の人口のうちのどれくらいなんだろう?私が生まれ育った高知では,サラリーマンはあまりいなかった.うちも中華料理店だったし.

サラリーマンになりたくて,サラリーマンになった.で,このゴールデンウイークも手に入れた.サラリーマンのメリットを活かしまくるぞ.

というわけで,本日は,弁天町でバンドだった.富士○の人が中心のバンドだが,本日はその客先のメンバーが皆職場のソフトボール大会で欠席.さらに,もう一人のメンバーもなぜか来なかった.というわけで,にしなかさんと私,それにリーダーの富士○の人と3人だけで2時間スタジオに入った.

ベースはやっぱり重要だな.というか,打楽器とギターだけというのはかなりつらい.

が,そこはにし○さんと,富士○の人.あまり不自由なしにとりあえず,練習した.やっぱり,にし○さんはすごいな.キメのとこが,マジで決まる.今日は,3人だけの練習ってことで,にしなかさんのドラムを観察していた.観察したら,なんというか,シンバルとか,正確に,一瞬腕が止まるような感じでしっかり叩いていた.すばらしい.


話はかわるが,

愛があっても,表現方法が変わると愛が通じないか?

それとも,そもそも,そういう風に伝わるということは,元々愛がないのか?

もしくは,愛がなくても,表現方法のうまい人がモテルというわけか?

それとも,その表現方法にマッチする人と「相性がよい」と感じるのか?

という問題に最近,というか,ここ数年,たびたび出くわす.出くわすたびに,深く傷つくのは,私が相手の表現を鋭敏に受け取ることが出来ないのが問題か?それとも,そもそも,そういう人とつきあっていること,もしくは,愛し愛されていると思っていることが勘違いなのか?もしくは,深く傷ついた状態ですぐに言い返せない弱さが原因か?それとも,表現方法にマッチした「相性のよい人」とだけつきあうべきなのか?

ある一つの問題に対して,解がいくつか生まれる場合,他の人が自分と別の解を持っていたのを見て,それを認め合うことができるか?認められなくても愛情を持って許し合えるか?許し合えなくても,相手を傷つけないように自分の気持ちを伝えられるか?自分の気持ちが伝えられなくても,愛だけは存在することだけでも,感じてもらえるか?もしくは,別の解を持っている人とは,余計な苦労を避けるためにつきあわないべきか?

たとえば,私のホームページに対して,いろいろな感想を持つ人がいると思う.人それぞれなので,それは当たり前だ.

かといって,万人の考えに合わせるのが適当か?もしくは,ごく隣人の意見に合わせるのが適当か?というと,どうか?

私の友達で,黒人音楽をこよなく愛し,愛しすぎたため,それをあまりにも楽しみすぎ,他の人にも布教しまくりすぎたため,黒人側からは「黒人をちゃかしているように見える.(差別に繋がる)」といった意見がでて,「リスペクトってむつかしい」と言った人がいる.

そのとおりだ.自分の意見をストレートにそのまま受け取ってくれる人はたぶんいない.自分自身の生まれてから何十年の歴史と,それを表現したときの一瞬の思いなんか,他人に伝わるわけがない.

というわけで,個人のホームページも然り,感想や日々の思いを書いている限りは,その思いは絶対に正確に伝わらない.ほんの一部だけわかちあえても,恩の字.

それはわかっているが,私も小心者.構えてしまうときは身構えてしまう.今はその時.


というようなことかくと,「あら,keikoさんって,好きな男性がいてはるのぉぉ?」ということになるかもしれませんが,そういう問題ではなくて,愛とは,親子であり,友であり,異性であり,同性であり,先輩であり,後輩であり,バンド友達であり,メール友達であり,そして,そんなに親しくもないが,そういう意見も交わす相手でもあり,ということです.念のため.

こういう念のため書きが必要ということ自体,自分の思いが伝わらないというか,いや,私の表現の貧弱さがすべての原因かもしれないんですけどね.


しかし,自分のホームページながら,もうすでに,どのファイルに何を書いているのかさっぱりわからない状態に突入している.こないだ,やっと,どのプロバイダでどのホームページをのせているかを整理したが,なかなか,迷宮状態になっている.

ジオシティも,ftpサービスが有料化され,現在ファイルマネージャーでのアップロードになっていて,これが結構うっとおしい.引っ越そうかな.どうしようかな.思案中.

でも,引っ越すとなると,この管理しきれない膨大な文句と愚痴と自慢話をどうやって引っ越すかも問題.さらに,本人以外誰も気にしないしょーもない写真もわんさかあるし.

個人のホームページって,結局自分の覚え書きと,自分を納得させるためのものだなあと,私自身については思った.(他の人は違うかもしれないが)

もし,これが誰かに向けて,または,ある特定のジャンルの人に向けて,あるいは,不特定ジャンルの人に向けて書かれたものだったら,それはすでに個人のページではないのではないだろうか?その時点で,カウンターが回っていることが重要であったり,内容になにかオブラートを被せたり,自分に正直ではなくなるのではないだろうか?

私の「縮毛矯正ページ」はかなりそれに近い.最初は個人のページのつもりだったし,今も基本的には個人のページなのだが,自分の意志では削除できなくなってきている.しかし,パーフェクトにボランティアのページとしたら,それは自分の個人のページとは切り離さなくてはならないのではないだろうか??

かといって,みんなのページだとすると,管理はみんなで,ということになるし.

うーん,やっぱり,world wide webって難しい.

と思ったところで,所詮,こんな片隅のページなんですけどね.


4月30日 加賀家訪問

加賀さんが家によんでくれたので,にしなかさんと一緒に訪問した.加賀さんはお手製のお料理をたっくさん用意していてくれて,どれもおいしかった.特に「ご飯のサラダ」(一歩間違えると冷や飯)は良かった.いろいろなものがはいっていたけど,ゆで卵とか,結構下ごしらえから必要なものとかもどっさりで,加賀さんの手厚いおもてなしに感激した.

にしなかさんは車だったので飲まなかったが,私と加賀さんは結構わんさか飲み,昼からとってもいい気持ちになった.と同時に,とても怠惰な,ぐったりした気分になり,横になりつつ,加賀家自慢のホームシアターを眺めていると,本当に生まれてきて良かった,そして,ここまでがんばって生き抜いて良かったとつくづく感じた.おかあさん,産んでくれてありがとう.

人の家でこんなにくつろげるなんて,くせになりそうだ.ビールとおいしい料理,ホームシアター,それにねそべって話ができる仲間.こんな幸せが40才間近になって待っていたとは,思いもよらなんだ.

ナマの楽器で演奏をし,ケーキを食べて,私は一足先に帰宅した.子供達は普通に学校があるのだ.今日も明日も明後日も.すごくくやしかった.この幸せを捨てて,また,日常に戻るのだ.

家に帰って食べるご飯って,いつも味がない.何を食べてもおいしいのかおいしくないのかわからず,とりあえず,口の中に入れる.よくおなかがいたくなる.だから,あまり食べない.

家で食卓を囲むというのは,他人,それも,いつ何時,批判されるかわからない相手を前に,いつも緊張しているのだ.びくびくしている.「keikoさん,今日は私に挨拶がなかったわね」といわれないだろうか?なにかまわりくどい説教をされないだろうか?何でも私のせいにされないだろうか?

そういうびくびくからなんとか逃れるために,ご飯を食べるとき,となりに座っている子供の世話をしている.

夫とお姑さんが話す言葉は,何を言っているのかいつもわからない.何かを会話しているのだが,入っていけない.でも,時々,こっちに話がふられる.緊張する一瞬だ.

それに比べて,今日は,本当にリラックスして,心からおいしい!と思って料理を食べることができた.本当においしかった.そして,本当にぐでぐでになって,床に寝そべり,映画を堪能することができ,(自分の好きなジャンルの映画なんか普段は見られない)美しいギターの音をきき,共通の言葉で喋る仲間と演奏し,喋り,楽しんだ.

本当に生まれてきて良かった.

帰宅したら,子供が友達を呼んできていた.二人の子供達にご飯をたべさせ,「早くしなさい」を連発しつつ,やっとのことで宿題をさせて,明日の時間割をして,寝かせた.

とりあえず,がんばる.

また,きっと,人生の楽しさを味わえる時が来ると信じている.

 

 

 

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